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だいぶ間が空いてしまいましたが、入院物語の続編です。まだつづくのかよ、と思われるかもしれませんが、じつはここからがおもしろい(私個人にとってはですが)。今日はタイトルにあるように、おもしろい…というか、とっても個性的ですてきな看護師さんのお話です。 さて榊原病院でのことですが、ふつうは術後2日くらいはICU、集中治療室に据え置かれるところ、私はよほど経過がよかったのか、その日のうちに一般病棟に移されました。この病棟生活が、意外にも、私にはとても楽しかった。暇があったら、もうしばらく入院していてもいいな、と本気で思ったくらいです。 なにしろ本格的に入院するのは人生で初めて。それだけでも興味津々なのに、心臓治療なんて未知の世界だから、へえぇぇぇと思うようなことが毎日のようにある。 たとえば太ももの動脈から管を入れるカテーテル手術。あれ、カテーテルを抜いたあと、どうやって止血するか知ってますか? なんせ動脈だよ。手首を切ったって死んじゃうのに、脚の太い動脈に穴があいちゃっているわけだ。私はてっきり細かく縫い込むのか、それとも特殊なカバーか何かで覆うのかと思っていました。 違うんですよ、それが。…なんと、驚いたことに押さえるだけ。圧力かけて穴を塞ぐっていうんだけどね、そんな原始的なやり方で大丈夫なのか、とびっくりしますよね。人体というものの適応力というか危機に対応する柔軟さはすごいもんです。そのかわり、その押さえ方が半端じゃない。男性医師2人がかりで力任せに包帯を巻いて、8時間絶対安静。しかし、それで動脈にあいた穴がちゃんと塞がるんです。 ところで榊原記念病院。ここはともかく、ドクターとナースがすばらしい。看護助手の方々も明るくて親切だし、やがて同室の患者さんに3人のお仲間ができましたが、これがまたみなさん、良い方ばかりだった。…というわけですから、毎日がおもしろくないわけがない。 この榊原記念病院というところは、およそ私の知っている病院のなかでは、あらゆる面で最高水準と断言していいでしょう。いえいえ、危ないところを助けてもらったから、言うのではありませんよ。掛け値なしに日本の病院のトップクラスにあるのではないか。 たとえば環境。私の部屋は4階で、目の前には空中庭園の植え込みがある。その向こうには広い空がひろがります。緑の多い郊外風景のなかに見えるのは、味の素スタジアムや東京外語大の学棟で、目障りな高いビルや無粋な看板のたぐいはひとつもない。すぐ先にはセスナ機専用の調布飛行場のグリーンが目に心地よい。…都心の病院では、こんなノビノビした景色はとても望めませんね。 もちろん医療水準、設備の新しさ、ゆとりあるスペース、清潔さ、静謐さ…どれをとっても文句のつけどころがないけれど、何度も言うように、なんといっても人的なファクターがすばらしい。 17日と半日の間、入院していたので、私の担当についてくれた看護師さんは延べで35人になる計算です。一日に日勤と夜勤それぞれ、ひとりが担当になる。もちろん同じナースが何度かついてくれることがあるので、実際には15人くらいでしょうか。 そのなかでも、何日か続けて担当になってもらったりすると、自然に打ち解けて仲よくなる看護師さんができてきます。私は冗談の多い人間なので、というか、家ではほとんど嘘か冗談しか言わないので甚だ信用がないのですが、ジョーク好きな人はすぐ嗅ぎ分けることができる。 こういう人とは年齢性別にかかわりなく、わりとすぐ親しくなれるんです。 ところが、そういうこととは関係なく、最初の出会いからすごいインパクトを受ける場合もある。病室に移った翌日、担当についてくれた I さんがそうでした。 この I さん、あとで伺うと、私の入っていた病棟のヘッドナース、つまり責任ある地位にある方だったのですが、それにしてはとてもお若い。そしてかなりの美人です。これは私だけの主観ではなくて、同室の患者さんもそう言っていたし、妹も認めていたから間違いない。働く女性の良いイメージを集めたような人で、知的でてきぱきしていて、そのくせ細やかな、やさしい心遣いができる。 私がもう15年も若かったら放っておきませんよ、ほんとに。…と言いたいところだけれど、出会ったときの私ときたら、尿道カテーテルつけて小便は垂れ流し、点滴の水分で体重が4sも増えて顔はむくみっぱなしという情けなさ。それよりなにより、手術翌日ということであちこち痛いわ、身体に力が入らないわ、とても看護師さんの品定めする余裕なんかない。ただもう寝ころんでいたいばかりでした。 しかし回復期初日に現れた I さんは、なんとも驚愕すべき言葉を放って、私を仰天させたのです。その言葉とは、「はい、ではさっそく今日からリハビリを始めましょう!」。 …り、リハビリですと? ちょっと待ってよ。あのね、私は昨日手術を受けたばっかりなんだよ。それも心臓の手術。心臓バイパス手術だよ。大手術じゃありませんか。リハビリじゃなくて、絶対安静でしょう、ここは。一週間の絶対安静、面会謝絶。それが常識なんじゃないの? 「いいえ、リハビリは早く始めたほうがいいんです。今日の目標はデイルームまで歩くこと。めざせ、デイルーム! さあ、がんばりましょう」 デイルームというのはオープンスペースの談話室のことで、椅子とテーブルが何組か置いてあり、給茶器(冷水器を兼ねる)がある。患者さん同士や、お見舞い客との談話に使われるところです。私の病室からは角を挟んで、まあ30メートルくらいしか離れていません。とはいっても、ベッドに起き上がるのもひと苦労という身にとっては、30メートル歩くのはきつい。おまけに身体には点滴にドレーン、導尿管と、何本ものチューブがつながっている。 ふらふらしながら起き上がった私は、しかたなく、I さんに付き添われながら、よたよたと歩き出しました。頭のなかでは「おいおい、マジかよ〜。こんなこと毎日やらされるのか〜?」と泣き言を並べながら。 ようやくベッドに戻ってきてフーフー言っていると、I さん今度は「リハビリチェック表」なるものを取り出した。それによると、翌日はデイルームまでの往復が1日に3回、3日目には100メートル歩行、5日目には200メートル、7日目には400メートル、9日目からはさらに階段昇降が加わるらしい。 うへっ。こんなことできるわけないじゃん。…だが、そこへ I さんの、ありがたくもキビシイお言葉がくじけかかる気持ちにムチを入れます。 「この病院では、だいたいこんなペースでリハビリを進めています。みなさんスパルタ式にがんばっていらっしゃいますよ」 …ははあ、さようですか。恐れ入りました。スパルタねぇ。私はアテナイのほうが好きなんだけど。 それ以来、すっかり降参した私は、ひそかに I さんにこんなコードネームを献上することに致しました。名づけて「 I 軍曹」。そう『愛と青春の旅立ち』でリチャード・ギアをしごいていた、ルイス・ゴセットJr演ずる鬼教官ですな。むかしから、お姉さんキャラに弱いところのある私は、自分より知識も経験値も高い女性にキビキビとリードされると、いたって抵抗力がない。 I さんは年齢こそお若いけれど、この道の専門家ですから、私はたちまち彼女に弟子入りしたような、というか、させられたような気分になりました。 ところが、やはり専門家の言うことは聞いてみるものです。2日目、3日目とさぼりながらもリハビリを続けるうち、思っていたより身体の回復が早いことに気がついた。うっとうしい導尿管はじきに外れたし、歩くのもだんだん楽になる。こうなると逆境には弱いが、調子に乗るとどんどん勢いのつく江戸っ子〈?〉タイプですから、私の運動量は日に日に増えていきます。 そのあと I さんが担当になることはしばらくなかったのですが、病棟責任者なので、ナースステーションで姿を見かけることはしばしばです。そのつど私が歩いているところを見ては「頑張っていらっしゃいますね」などと声をかけてくれます。 ある日のこと、売店に行くつもりでふらふら歩いていると、ナースステーションのパソコンの後ろに I さんが立っている。いつもと違って、なんだかイタズラそうにニヤニヤ笑っています。なんだろうと思っていたら、 「トマツさ〜ん。わたし、見つけちゃいました〜」 なんとも意味ありげな顔で I さんが言ったから、私は思わずたじろいだ。…な、なにを見つけたというんですか。 「トマツさんの御本。パソコンで検索してたら、見つけちゃいましたァ」 …ま、また、なんだって、そんなよけいなことを。 これには経緯があって、入院してすぐあと、主治医の先生方が妹から私の病歴や生活歴の聴き取りをしたんですね。そのとき当然「お仕事は何ですか」という質問があって、文筆業と言っておけばいいのに、妹が「ミステリーとか書いてます」と答えた。ところが先生方のおひとりがミステリーファンだったもので、ホホウとばかりにくわしく質問されたらしい。それがナースステーションに流れてきて、I さんの耳にも入ったようなのです。 でも私はそんなことになっているとは知らないから、キモがつぶれるほどおどろいた。 な、なに、このひと? 軍曹かと思ってたらMI6でもあったのかよ。MI6というのは英国の諜報機関Military Intelligence section 6のことで、かのジェームズ・ボンドが所属していたところですな。 うろたえているうち、「さっそく読ませていただきますね」と言われたから、私は焦りました。能天気なくせに恥ずかしがり屋の私にとって、なにが苦手と言って、生身の自分を知っている人、しかも毎日顔を合わせるような人に、自作の小説を読まれるくらい恥ずかしいことはない。それだけは勘弁して下さい、と頼み込むと、 I さんは小首をかしげて、「そうですかぁ?それじゃ退院されたら読ませていただきます。それならいいでしょう?」 はいはいはい、それなら、もう。どうぞ読んでやって下さいませ。 というようなことがあってから、いっそう I さんに親近感が湧いて、ときどき短い立ち話などしていましたが、頭のいい人なので、訊くことにも無駄がありません。大きな病気をしてから人生観が変わった、みたいなことを話していたら、「じゃ、いま、人生でいちばん大切なことって何ですか」と真顔で訊かれて、あたふたしたこともありました。 このひとはとても眼の表情が豊かなので、ちょっと笑みを含んだ眼でジッと見つめられると、「カッコつけてたって、私にはな〜んでもわかってるんですよ〜」と囁かれているようで、なんだかオタオタしちゃうんですよね。世の中にはその人の前では気持ちが楽になる「好ましい人」と、逆にその人に対すると、どうも調子が狂ってしまう「苦手な人」がいるものですが、どうやら「好ましいのに苦手」という例もまれにはあるらしい。 MI6といえば、こんなこともありました。退院も近づいたある日のこと。退院後の生活指導のひとつとして、 I さんがこの病院の院長先生が書かれた本を手に私のベッドへやって来ました。20分ほど図解などを見せてくれながら要点を説明したあと、「それじゃお預けしておきますから、よく読んでおいてくださいね」と本を置いて出て行った。 もともと人間が素直ですから、私はその日のうちに、二度繰り返して読み、さらに覚えておきたいところを売店でコピーもしておいた。 翌日たまたま廊下で行き合ったので、本を返しながら「コピー取っちゃいましたよ」と言うと、にっこり笑った I さん、「ゆうべも遅くまで読んでいらっしゃいましたものね」 …あんた、どこから見てたんだよ〜! そんな I さんですが、お若いに似ず、言葉遣いの美しい、とても折り目正しい女性でもあります。いよいよ明日が退院という夜、家に電話をかけに通りかかると、ステーションにまだ I さんが残っている。良い折だからご挨拶しておこうと立ち止まりました。 立ち上がった彼女に「退院されたらさっそく探して読ませていだきますよ〜」と笑いかけられて、私はついこう言ってしまった。「それじゃ、いま部屋にあるから差し上げましょうか」 じつは主治医の先生に差し上げようと思って、予備も含めて2セットを家から届けさせてあったのです。でもどうせのことなら、いちばんお世話になった I さんにも差し上げたい。探してまで読んでくださるというのですから、進呈のしがいもあるというものです。 I さんがサインと為書きも…とおっしゃるので、感謝の言葉を添えてヘタな署名を入れながら、「でも、これ歴史ものですから、趣味が合わないと、ちょっと読みづらいかもしれませんよ」と言うと、 「いいえ、私、歴史が好きですから」 「それならいいんですが、歴史と言っても特殊なんですよ。幕末にサムライがアメリカに行ったときの話なんで…」 「そのへん、いちばん好きなところです」 ―ホントかよ ![]() …。そして I さんは、拙著を胸に、 「明日はお休みを戴いていますので、退院のお見送りができません。ですから、ここでご挨拶させていただきます」 と姿勢を正し、深々と一礼されて、ステーションに戻って行かれました。あとでそれを思い出しながら、お辞儀を含めて、日本の礼儀というのもきちんと形を整え心を籠めて行えば、とても美しいものなんだな…とつくづく思ったものでした。 帰宅してからその話をしていたら、アホな妹が「うーん。それが惚れたってことなのよ」とアホの上塗りするようなことを言う。 違うってば。良いトシをして、「執刀医の先生の手術衣姿に惚れたねえ、あたしゃ」とか言ってるアンタとは違うの。私はあくまで、彼女の人間としての心遣いと挙措の美しさにだね…って、こんなところで力説しているのもかなりアホなんですが…。 ともあれ I さんは、すてきな看護師さんでした。でもその彼女のイメージを暖めている私の心の底にあるのは、やっぱりコレなんですよね。 「近いうち、あのイメージをどれかの作品で使ってみたいなぁ」 なにしろ、私めは物書きとか言いながら、女性キャラの造形がどうも苦手。昔なじみの女友達には、 「あなたの小説読むと、どういうタイプが好みかすぐわかるよね。ヒロインのキャラがいつも同じだもの」 とつねづね辛口批評されているのでありました。 |
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こんばんは |
いち 2008/01/20 01:51 |
よろしいですねえ。ナースというだけでポイントが高いのに、美人で賢くて怖い(?)なんて理想的ですね(おれはMだなあ)。 |
SHIN 2008/01/20 11:36 |
入院患者にとって看護師さんというのはある意味で親密な存在ですよね。 |
石ころ 2008/01/20 21:43 |
いちさんへ |
戸松淳矩 2008/01/21 22:48 |
実は「榊原記念病院」の近くに得意先があって何年か通ったとか、タレントのオフィスがやはり近所にあって打ち合わせにいったとか、というエピソードを書こうとして、M云々はほんの前振りのつもりで書いたんですよ。 |
SHIN 2008/01/22 00:26 |
そういえば、記念クリニックからの紹介で入院される患者さんは、かなり多いようでした。記念病院は環境抜群なんですが、それだけに退院後の通院リハビリに通うのがちょっと大変です。拙宅からだと電車を乗り継いで1時間半近くかかるし、乗換駅にエスカレーターがないから、通院自体がすでにリハビリになっている(笑) |
戸松淳矩 2008/01/22 20:16 |
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