(元)ミステリー作家T・A  あさっての日記

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zoom RSS スタンダール『赤と黒』の誤訳問題

<<   作成日時 : 2008/06/13 20:15   >>

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翻訳小説と誤訳、これは永遠の課題です。いや、べつに小説に限ったことじゃありませんが。これだけ翻訳本があふれていれば、誤訳だって当然多くなるはず。何年か前、有名ミステリーの誤訳を指摘した本も出ていましたね。

 いま騒がれているのが、光文社の古典新訳文庫の『赤と黒』。東大大学院准教授の野崎歓さんが訳されたものに、立命館大学教授の下川茂さんが手厳しい批判を浴びせています。
 私はフランス語をまったく知らないので、どちらの言い分が正しいか、なんて判定はもちろんできません。ただ、こういう問題が起きると、いつも思うことがある。翻訳は誰のために、なんのためにされるのか、ということです。

 ことの経緯をご存じない方もいらっしゃるでしょうから、何が起こっているのか、かんたんに説明しておきましょう。
光文社のこの新訳シリーズは、とっつきにくい古典を平明に訳していると好評で、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』が平積みになるなど、話題になりました。『赤と黒』もその一冊として刊行。
 ところが日本スタンダール研究会の会報に、下川さんが「まるで誤訳博覧会」と酷評した書評を載せたところから、問題が起こります。
 下川さんによると、「前代未聞の欠陥翻訳で、日本におけるスタンダール受容史・研究史に載せることも憚られる駄本」というから、すさまじい。
「訳し忘れ、改行の無視、原文にない改行、簡単な名詞の誤りといった、不注意による単純なミスから、単語・成句の意味の誤解、時制の理解不足によるものまで誤訳の種類も多種多様であり、まるで誤訳博覧会」なのだそうです。

 下川さんがこれだけ怒るところをみると、ウソではないのでしょう。じっさい、誤訳例もたくさん列挙されている。しかしいっぽう、野崎さんもれっきとした専門家で翻訳の実績も十分ある方ですから、そんな誤訳をするだろうかという気もします。

 また3月に第3版が出ているのですが、そこで19カ所が訂正されているとのこと。下川さんはこれについて、
「2月末に誤訳箇所のリストの一部が訳者に伝わっている。そこで指摘された箇所だけを訂正したものと思われる」
 と指摘されています。そして、これは初版第3版としてでなく、改版とすべきなのに、ごまかしていると非難しているわけです。
 結論として下川さんは「野崎氏に会報と絶版を勧告する文書を郵送しました。学者としての良心がおありなら、いったん絶版にしたうえで改訳すべき」としています。

 こうまで言われた野崎さんサイドはどうしたか。光文社の編集長によると、
「当編集部としましては些末な誤訳論争に与する気はまったくありません。もし野崎先生の訳に異論がおありなら、ご自分で新訳をなさったらいかがかというのが、正直な気持ちです」
 と取り合わないつもりのようです。

 これ、両者の言い分を読んで、どう思われますか。
 私は、今のところ、光文社から仕事の依頼が来ていないのではっきり言いますが(…おいおい、そういう問題なのかよ)、光文社サイドの言い方は、ちょっとなあ…と感じました。
 読者からの反応がすべていい、とか、喜びの声だけが届いていると付け加えていますが、それはこのさい、関係がありませんよね。
 専門家として翻訳の適否を問われているのだから、そこに問題を絞って答えなくてはいけない。
「些末」というならば、せめて下川さんが指摘された箇所の一部についてでも、どんなふうに「些末」で、取り合う必要もない問題であるのか、反証を挙げてほしいと思います。
 一私人が個人的に抗議してきたのではなく、相手も専門家として公の研究誌において異見を述べているのだから、こういう木で鼻をくくるような対応はどんなものでしょうか。

 異論があるなら自分で新訳をしてみろ、というのも、なんだかなあ。たとえ下川さんが新訳したところで、野崎さん訳が出たばかりで、刊行してくれる版元もないでしょうし、発表の場がそうかんたんには見つかるとも思えない。それがわかっていながら、こういう突き放した言い方は、なんだか意地がわるいような気がするんですが…。

 しかし一方、下川さんの異議申し立てのやり方にも、ちょっと穏当でないものを感じます。怒り心頭に発したのかもしれませんが、今回の手法はいきなり大上段から相手の脳天を斬りつけるみたいで、もう少しやりようがあったのでは、という気はする。
 たとえば批判を公にする前に、これこれの書評を用意しているが、今のうちに訂正するつもりはないか、と打診してもよかったのでは? それが拒否されたのなら、公にしてもなんら問題はなかった。けれど、先に公表してから相手に送りつけたのでは、野崎さん・光文社サイドに誤りがあったとしても、「申し訳ありませんでした」とは言いにくくなる。

 誤訳の問題は、明白な盗作問題のような、議論の余地がない誤りとは違うと思うのですね。翻訳出版はひとつの文化事業なのだから、よりよい、より正しい翻訳作品ができあがるように、訳者・出版社はもとより、関係者がともに協力しあえるような、開かれた場がほしいと思います。

 日本の翻訳小説はむかしに比べると、かなりよくなっていると私は思っています。翻訳家にも創作家をしのぐ、いい文章を書く人が増えている。それだけに、翻訳作品を日本人の文化的な共有財産として大切に育てていくシステムが望まれます。
 …なんだか新聞の社説みたいな締めくくりだな(今回のトラブルの経緯については、産経新聞六月八日付け、桑原聡記者の署名記事から引用しています)。


 

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タイトル (本文) ブログ名/日時
些末な誤訳論争
ウィキペディアの記事を借りる。 立命館大学文学部教授の下川茂は、野崎の訳したスタンダールの『赤と黒』(光文社文庫、2007年)に対し、誤訳が多すぎるとの批判を行っている。下川は「前代未聞の欠陥翻訳で、日本におけるスタンダール受容史・研究史に載せることも憚られる駄本」としたうえで「仏文学関係の出版物でこれほど誤訳の多い翻訳を見たことがない」と指摘し「まるで誤訳博覧会」と主張している。2008年3月付の第3刷で同書は19ヶ所を訂正したが、下川は「2月末に野崎には誤訳個所のリストの一部が伝わっている。... ...続きを見る
翻訳blog
2013/10/23 07:16

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コメント(15件)

内 容 ニックネーム/日時
亀山訳『カラマーゾフの兄弟』も誤訳だらけであることが、「ドストエフスキーの会」のHPで検証されています。
せっかくの古典新訳文庫。訳者も出版社も責任をもって仕事してほしいものです。
誤りを率直に認め、できるだけ早く改訳してこそ、信用を取り戻せるのではないでしょうか。
toto
2008/06/13 22:39
>亀山訳『カラマーゾフの兄弟』も誤訳だらけであることが、「ドストエフスキーの会」のHPで検証されています
…えっ、そうなんですか? 知りませんでした。ご教示ありがとうございます。あれだけ評判にもなり、売れている新訳なのに、それがほんとうなら由々しきことというか哀しいことですね。
わかりやすく読みやすい新訳、というコンセプトは良いと思うのですが、意訳しすぎちゃったのかなぁ。それとも、そういうこととは次元が違う逸脱なのか?
誤りならば、おっしゃるようにルールに則って信用を回復して欲しいですね。
戸松淳矩
2008/06/14 05:25
かつて上智大学の別宮貞徳教授が、英語の誤訳に関して「欠陥翻訳時評」書いていたものが、文藝春秋から単行本になっていますが、ここに取り上げられている誤訳は、目も当てられないような酷いものばかり。その翻訳が都留重人のような著名人によってなされていようと、ばっさばっさと斬りまくり、反論にもきちんと答えていく姿勢には清々しいものがありました。
それに対して、カラマーゾフに関しては、誤訳を指摘している木下豊房氏のご意見はもっともなんですが、瑣末的過ぎるというのが正直な感想です。木下氏は「なにを言っておるのか」と逐一指摘してくるでしょうけれど。

引用します。
問題の訳
>すでにそのころ、わたしの問いに対してほかの地主や、ことに町の先生方は

新潮社版
>そのころそこらの地主たちや、特に町の学校の先生などは

инойというロシア語には「ほかの」「ある種の」といった意味があるが、ここでは「ある種の=そこらの」と訳すべきというのが、木下氏の主張です。
確かにこうしたことが何回も出てくれば、ロシア語の専門家としては我慢ならんのでしょうが。う〜ん。
藤岡真
2008/06/14 08:07
亀山訳に、出版前にもう一度原文と突き合わせてきちんとチェックしていれば防げた「瑣末」な(ロシア語の初学者ですら唖然とするような)誤訳が多すぎるのは事実です。これも問題です。しかし、それだけではありません。作品の理解に深く関わる箇所での誤訳も多く、読者にとってこれは困りものです。「ドストエーフスキイ」の会のHPには、「検証」と「点検」の2種類の指摘が掲載されていて、この両方を読んで、これは捨ててはおけない問題と感じました。一方、亀山氏は、週刊新潮5月22日号によれば、この夥しい誤訳の事実を否定されているようです。残念です。誤訳を正され、真の名訳として読まれることを切望します。これは『赤と黒』も同様です。
toto
2008/06/14 10:47
実はわたくし、亀山訳が出たとき、丁度良いチャンスと、第一巻を購入して読んだのですが、訳文が読みにくくどうもピンとこないし、5巻まであるので(第5巻は、エピローグと解説、伝記だと後で分かりました)挫折したのです。でも、せっかく読もうと思ったのだからと、新潮社版原卓也訳で読了しました。読み難くはありませんでした。光文社がなんで“読み易い”を標榜して亀山訳を出したのか理解出来ません。そして、亀山訳が読みにくい理由は逐語的な語義の過ちによるものとも思えないのですが。
藤岡真
2008/06/14 16:03
実はわたくしも、亀山訳を第1巻で放棄したくちです。おっしゃるとおり、訳文が読みにくく頭にすんなり入ってきませんでした。上記「点検」の前書きの言によれば、文脈が読み取りにくいのです。これは一体なぜか。先行訳(例えば、原訳)との比較を見て、理由が分かりました。新訳では訳者自身が文脈をよく読みとらずに訳している箇所があちこちにあるのです。読みにくいはずです。誤訳の多くもそこから生じているのでしょう。
では、なぜこの訳書が「読みやすい」と評判になっているのか。それは、みんな文脈を読まなくなっているからではないでしょうか。新訳は、原文にない改行も多く、活字も大きくて、確かにストーリーを追うだけなら読み飛ばすことも可能です。
これを推奨した文化人たちも読み飛ばしたのだとしたら、その無責任ぶりも悲しくなります。
toto
2008/06/14 17:31
さきほど「ドストエフスキーの会」HPに行って、ざっと目を通してきました。誤訳例として挙げられているものには、先行訳と比べて意味の取りにくい箇所がたしかにありますね。ご指摘のように、正確に文脈をたどるという作業がなされていないようです。
素人からみて不思議なのは、新訳をするときに、先行訳を参照していないのだろうか、という点です。それをしておけば防げたミスがかなり多いと思うのですが。
まあ、古典と呼ばれるような作品に読みやすさを過剰に求めること自体が、どんなものかと思いますね。
戸松淳矩
2008/06/14 21:25
誤訳というものがそもそも何なのか。
ここからして、たいへんに難しい問題です。
あなたがどのような作家さんかは全く存じませんが、
まあ、なにか、あなたが語るには、そもそも、これ、難しすぎる問題なのではないでしょうか。
亀山訳についての、あなたのコメント一つとっても、素人のイキを出るものではないようです。素人のイキに小さく固まっています。生半可な知識が哀しく響いていますよ。
そもそも
2008/07/27 21:33
あなたは「作家」を名乗ってこのブログを書いている。
作家といってもピンからキリまであるとはいえ、自ら名乗っている以上は、もうちっと、考えを深めた文章を書いていただきたい。ひとすぎる。
そもそも、あなたは、こういった文章を公とする上で、最低限のこともしていないようだ。新訳の「カラマ」「赤と黒」の何れをも、読んではいらっしゃらないようなのだ。さらっとも読んではいらっしゃらないようなのだ。
批判文が、ここがオカシイ!と示す部分だけを読んで、どうも、いい加減な感想を安易にも口にしていらっしゃるようなのだ。ひどいもんだなあ。
そもそも
2008/07/27 22:18
はじめまして。
記事を興味深く拝読しました。誤訳そのものへの判断は慎ましく保留して、出版社の対応に絞って問題を提起し、かつ、全体として翻訳文化の向上を願うという趣旨は極めて穏当であり、共感を覚えました。亀山訳についてのコメントも、作家、すなわち、日本語のプロの立場からの率直な意見であり、参考になりました。

さて、今回の二つの誤訳問題は、別に難しいものではないと考えます。
まず、誤訳そのものについてですが、両訳書ともそのほとんどが既訳では正しく訳されており、原語の読める者にはもちろん明白、そうでない者にも判断は可能です。(つまり、チェック不足だったということであり、実はこれ自体が問題なのですが、それは、今は置きます。)
コーベエ
2008/07/30 22:33
(続きです)
従って、ことは簡単です。
ともに、多数の誤訳があることが分かったのだから、チェックし直して、訂正すればいい。―それだけですよね。(その際、規模から言って、改訂版として出すのが筋でしょう。)それが、まさに読者の利益です。

今回の件で不思議なのは、一番に優先されるべきこの「読者の利益」が顧みられていないことです。読者の利益は、信用の面で、訳者と出版社の利益にもなり、ひいては、翻訳文化の向上にもつながるはずです。
改訂されてより良い訳になれば、(草葉の陰の原作者も含めて)みんなが幸せになる…。
だから、誤りは直したらいい、という極めてシンプルな問題と私には思われるのですが…。
コーベエ
2008/07/30 22:34
ブログおやすみ中のため、レスが遅くなって申し訳ありません。

>そもそもさん
ご叱正ありがとうございました。おっしゃるとおり、私が語るには難しすぎる問題かもしれません。このテーマについて深い知見をお持ちの方からみれば、考えが浅すぎるというご批判は当然と思います。
ただ、専門家だけでなく、翻訳書籍を享受するシロウトも、出版界言論界の望ましいありかたを語ってもよいのではないかと思い、駄文をしたためた次第です。よろしければ、この問題につき、そもそもさん御自身のお考えも教授いただけると、この記事を読まれるみなさんにも裨益するところ大なのではと思います。よろしくお願いいたします。

>コーベエさん
拙文の趣意を汲み取っていただき、ありがとうございます。日本語のプロなどとおっしゃられては汗顔の至りでして、恥じ入ります。
翻訳書籍は外国文学でありながら、貴重な日本語の文化資産でもあるので、このような問題がすれちがいに終らず、おっしゃるように、批判が読者の利益になるようなシステムがつくれないものかと、願っているのですが…。
戸松淳矩
2008/07/31 16:24
わたしが以前書いた文章、長くなりすぎました。
要は
「批判文が、ここがオカシイ!と示す部分だけを読んで、どうも、いい加減な感想を安易にも口にしていらっしゃるようなのだ。ひどいもんだなあ。」
といいたかったのです。
その翻訳本(かなりの長編であるわけですが)が、では全体としてはどうなのか、ここがなにより大事でしょう。その印象を得るためには、少なくとも、その本を読んであげましょうよ。ほらここ、ほらここ、と、その気になれば、かなりの誤りを、誰であれ、どの翻訳本に対してであれ、指摘することは可能だと思いますよ。
貴の文章(とりわけ、6月14日付け、亀山訳へのコメント)は、とても公平なものとは思えませんでした。あ、また長くなっちゃった…
そもそも
2008/08/01 00:42
「貴の文章(とりわけ、6月14日付け、亀山訳へのコメント)は、とても公平なものとは思えませんでした」
そう、公平なものになりようはずもありません。そもそも、あなた、その問題となっている翻訳本を一冊の本としては読んでいないのですから。
そう、そもそも、この問題については、あなたのように、批判文だけに基づいて発言する人が多すぎるのです。批判文にいいように誘導されてしまっている、ともいえるかもしれません。
「作家」とわざわざ冠つけて発言しているにしては、浅薄な論というよりほかにはないですなあ。
そもそも
2008/08/01 01:15
お邪魔します。
翻訳に誤訳はつきもの、とよく言われます。確かに、どの訳書もその気になれば誤訳は見つかるものなのでしょう。けれども、この二つの訳書のように、かくも大量の誤訳が、それも先人の立派な訳があるにもかかわらず、見つかるというケースは極めて稀でしょう。
それから、全体は言うまでもなく細部の積み重ねで出来上がっています。作家は全体の構成は勿論のこと、その構成要素である細部に丹精を凝らします。偉大な作家であれば尚更です。その細部の訳がそこかしこで間違っていると気づいた(或いは、知った)場合、作品の(長大な)全体を読み通そうという気になるでしょうか。また、それを知らずに読了したとして、その人の述べる全体の印象があてになりましょうか。だって、それは、間違った細部の読みの上に得られたものであるのですから…。
というのが、私の素朴な思考なのですが…。
失礼しました。
コーベエ
2008/08/03 14:39

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