(元)ミステリー作家T・A  あさっての日記

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zoom RSS 『悪魔の羽根』 ミネット・ウォルターズ

<<   作成日時 : 2015/08/01 14:45   >>

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ウォルターズの11作めの長編小説、原作は2005年の発表です。

邦訳されているウォルターズ作品はすべて読んでいますが、ここ数年、ウォルターズの文章はだんだん読みやすくなっている印象があります。
近作の『遮断地区』などは、とくにそうでした。小説の構造的にも、かなりわかりやすく書かれていた。へそ曲がりで意地悪な私には、その「わかりやすさ」がわずかなマイナス点に感じられましたが、「ウォルターズは長い・重い・暗い・わかりづらい」と敬遠しがちな読者を振り返らせるには、じゅうぶん効果的だったと思います。

ところが、この『悪魔の羽根』はけっしてわかりやすい作品ではありません。
構成的には、そう複雑な筋立てではない。トビラの紹介文をそのまま借用すると、
「2002年、シエラレオネで5人の女性が殺害された。現地の元少年兵3人が起訴されるが、ロイター通信社の記者コニーだけはイギリス人のマッケンジーを疑っていた。2年後、バグダッドでマッケンジーに遭遇したコニーは、嗜虐趣味を持つ彼に拉致監禁されてしまう。3日後に解放され、イギリスに戻った彼女はマスコミを逃れて田舎町に隠れ住む。解放時にほぼ無傷だったうえに、あいまいな証言ばかりで監禁中のできごとを警察に話さないコニー。彼女はいったい何を隠しているのか?」

オビには「本書を超える心理サスペンスはまず現れない(セインズベリー・マガジン)」とか、「心臓をつかまれるような衝撃のクライマックスまで緊張感がとぎれず(サンデー・テレグラフ)」とか、あちらでの書評が紹介されています。
これを見ると、さぞかしハラハラドキドキのサスペンスだろうと思いたくなりますが、たとえばジェフリー・ディーヴァーの『追撃の森』のような、手に汗握る、めまぐるしいスリルやサスペンスは、この小説にはありません。

むしろ、コニーが隠遁している田舎の風景や、人々との交わりがじっくり書き込まれていて、マッケンジーが襲撃してくるのではないかという恐怖はあまり強く描かれていない。
心理サスペンスの切れ味というなら、全盛期のルース・レンデルやマーガレット・ミラーの方がもっと迫真力があると思います。

そもそも、恐ろしい殺人鬼に追われているにしては、村人の問題に首を突っ込んで「探偵」まがいの推理を繰り広げたりしていて、さほど緊迫感は感じられません。
村人の問題というのは、地主の老婦人リリーが危うく死にそうになっているところを救われた事件があり、リリーは認知症が進行していた。
助けたのは、ジェスというマスチフ犬と暮らす孤独な女性。彼女は農場経営者です。
老婦人には離れた町に住むマデリーンという娘がいますが、これが鼻持ちならない俗物。どうやら母親が死んで遺産の土地建物を手に入れたいと思っているらしい。
このリリーの古い屋敷を、コニーが隠遁所として現在レンタルしている、という関係になるわけです。

コニーは、ぶっらぼうでとっつきのわるいジェスに、だんだん惹かれていきます。2人のあいだにはレズビアン的な友愛が芽生えますが、期待?に反して、そういう展開にはなりません。

こう見てくると、なんだかサスペンスとしては、いささかインパクトに欠ける物語のような気がしますね。
たしかに、マッケンジーも「敵」としては、イマイチ迫力不足だし、じゃあこの作品の「ミステリーとしての」魅力は何なんだ? と思われるかもしれませんが、ズバリ、それは構成のおもしろさです。

物語は時系列に沿って進むのではなく、コニーがマッケンジーに拉致されると、そこから物語は彼女が解放されたあとのシーンになります。
拉致されていたあいだ、何が起きていたのかは、直接には語られません。コニーの覚書や、メールが断片的に挿入されるかたちで、いわゆる「読者に絵を描かせる」技術が使われています。
このへんの物語の紡ぎ方、謎の提示の仕方は、さすがに上手い。
何があったのだろうという興味を掻き立てて、牽引力を生み出している。

ただし、拉致されたときに起きた真相は、私にとっては、いささか拍子抜けでした。
よほど屈辱的な、想像を絶する仕打ちを受けたのだろうと思わされますが、条件からみて、私が「たぶんコレだろう」と想像していたものとは違っていました。
それはきっとウォルターズは女性でもあるし、私ほど「下品」でも「悪趣味」でもないからでしょうね(笑)。
あるいは、私が読み違えているのかもしれませんが。

この作品のミステリーとしてのすぐれた点は、巻末の松浦正人さんによる11ページにわたる解説が、ほぼすべてを言い尽くしています(余談ですが、松浦さんは東京創元社の元編集者で、私は彼が新人だった頃、戸川安宣さんといっしょにお会いしています。たしか、後に『剣と薔薇の夏』になる作品の構想をお話ししたような記憶があります)。
松浦さんのみごとな解説に付け加えることはほとんどないのですが、ひとつだけ、私がこの作品のどこをもっとも高く評価しているか、述べてみたいと思います。

私の考えでは、英国ミステリーを語るとき、それを生み出した、滔々たる英文学の流れを軽く見るわけにはいきません。
私の愛好するレンデルやジェイムズには、自分の作品を英文学の伝統のなかに位置付けようとする意識がみられますし、ほかの英国ミステリー作家にも、登場人物の人間性をていねいに描こうとする傾向があります。
そのため、英国ミステリーは長い・重い…という印象を持たれがちなのですが。

これと対照を成すように、現代英文学の作家には、ミステリー的な技法を使う人がけっこう多い。
たとえば、これも私の愛好するイアン・マキューアンですが、この人の作品は、りっぱなミステリーにもなっていると思います。
『贖罪』の真相には、「えっ、そういう話だったの」と驚かされましたし、『愛の続き』のラストにも「おお、それがあったか」と膝を打ちました。ジュリアン・バーンズの『終わりの感覚』も、ラストのオチが鮮やか。
もちろんこれらは純文学作品ですから、読者をおどろかせたり楽しませたりするために、そんな仕掛けをほどこしているわけではない。
テーマを生かすためにこそ、ミステリー的手法が使われているのですが、こういう作品を読むと「文学」と「ミステリー」の距離の近さが、うらやましく感じられます。

ウォルターズの作品も、こういった視点から読んでみると、また別の側面が見えてくる。
これは自尊心を踏みにじられる屈辱的経験を味わわされた女性が、いかにして、その再来の不安に耐え、傷ついたプライドを回復し、自分自身を取り戻していくか――そんな物語なのだと私は思います。
そして、ウォルターズがたどり着いた、その解決法は、
「自然とともに生きる生活」と、「だれかのために心を配る・ひとを気遣うこと」

「敵」であるマッケンジーはある種の故郷喪失者です。戦乱地域で傭兵になるなど、内乱や戦争状態にある外国を渡り歩き、女性に対する虐待、殺人事件を起こしてきた男でした。
彼の出没した国々は、みな、かつて西欧列強によって植民地にされ、戦後はそれらの国々の都合で、人為的に国境線を引かれた過去があります。
これが大きな原因となって、部族対立、宗教対立が未だに絶えず、戦乱やテロが続いていることは説明するまでもありません。いわば、これらの国々に住み、今も戦乱に苦しむ人々もまた、もともとの故郷を奪われた故郷喪失者なのでした。

現代文明そのものが、それまで自然に営まれてきた人々の生活を破壊し、人と人との絆を掘り崩してきたことも疑いえません。その一方で主権国家による管理はますます強まる。……というのは、有名なガタリの溶くところですが、こうみてくると、コニーを追い詰めたものは現代文明そのものであり、その象徴がマッケンジーだったと考えられる。

とすれば、そこで受けた傷を癒すのは、「豊かな自然に囲まれた、古き良き共同体」しかないのでしょう。
むろん、これは後ろ向きの選択です。
ドラマ作りの基本のひとつに、「泣かす」テクニックがありますが、要は「失われた絆を回復する」ということに尽きます。
世間に流通している「泣ける小説」は、ほとんどこのパターンを踏んでいます。

しかし、今どきの田舎は、心を癒してくれる自然は残っているにしても、牧歌的なかつての村落共同体の姿は失われつつある。セント・メアリー・ミードや、スリー・パインズ村のような、穏やかな暮らしはもう望めない。
けれど、そこで知りあった風変わりな女性、ジェスとのあいだに、コニーは人間的な絆を結び始めます。
これが彼女の再生につながっていきます。

トルストイの言葉に「人生にどう向き合ったらいいかわからなくなったら、とりあえず、だれかを好きになれ」という名言があります。ここで言う「好き」はべつに恋愛に限りません。友情でも、師弟愛でも、なんでもいい。肉親への愛でも、動物への慈愛でもいいのでしょう。
とにかく、自分以外のだれかを気遣うこと、心を分け与えること、その相手の幸せを願い、そのために何かをすることです。
これは「情けは人のためならず」という意味ではなく(最近の若い人は、この言葉を「情けは人のためにならないから、きびしく当たれ」の意味に解するそうですが)、人間というものは、ひとりでは生きていけない、というより、他者という存在を織り込んで初めて自我は成り立つのですから、他者とともに生きることが自己の再生につながるのは当然のことでしょう。

なのでジェスに深くかかわり、ジェスが悩んでいる問題にともに取り組むことで、コニーは立ち直っていくのです。ミステリー的に考えると、この小説では、マッケンジーに追われるサスペンスのなかに、村の事件の探偵役をつとめる謎解き話が組み込まれています。
そこに違和感を覚える読者がいても不思議はありません。それによりサスペンスが薄まってしまう懸念があるし、もっとサスペンスを盛り立てる恐怖や不安を強調した方がおもしろくなるかもしれない。
しかし被害者の再生を描く「小説」としては、こうでなくてはならなかった。

だからこそ、私は本作を「ミステリー」と「小説」を両立させた傑作だと評価したいのです。

……久しぶりに長い書評を書いて、くたびれました。
ここまで読んでくださった方には、お付き合いくださったことを感謝いたします。
今はたまたまヒマなので、こんなに長く書いてしまいました。

















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