(元)ミステリー作家T・A  あさっての日記

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zoom RSS 「リバーサイド・チルドレン」 梓崎 優

<<   作成日時 : 2013/10/13 23:18   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 2

このブログは「書評」メインのつもりなんですが、書評にもいろいろあって、大傑作だから書きたい、というものでもない。どんなに傑作でも、「誰が読んでも同じようなこと言うよね」的な本は、もうひとつ評してみたい意欲が湧きません。
でも、「これは一筋縄ではいかないぞ」という本だと、やる気が出る。
というわけで、久々に「ひとこと言わせろ」とわめきたくなる本が出ました。本年度の大問題作でしょうな、これ。

今さらご紹介する必要もないでしょうが、本書は3年前、短編集『叫びと祈り』で一躍、ミステリー界に雷名をとどろかせた大型新人の、初・長編作品。
前作は新人の短編集でありながら、各種ベストテンで軒並み2位、3位と上位につける快挙を成し遂げました。
とくに、収録作の「砂漠を走る船の道」は黄金期ミステリーの再来と激賞された大傑作。
私は一読して、「いやぁ天才っているもんだなぁ」と舌を巻き、ついでにシッポも巻きましたですよ。チェスタトンや泡坂妻夫を思い出させる、魅惑的&奇妙な論理系の、しかも洗練されたすばらしい作品です。
その天才新人の初長編となれば、これはもう、いやがうえにも期待は高まります。

さて、一読した率直な感想は…この作品には「傑作」というありきたりの賛辞よりも「大問題作」という称号こそふさわしい。
しかし、「問題」があるってことは欠点がある、つまり傑作じゃないんだな、と早合点されてはこまります。ここでいう「問題」とは「弱点・難点」の意味ではなくて、「挑むべく提示された課題」のことです。
誰にとって、挑むべき課題なのか?
むろん、ミステリーという、謎の魅力と知的構造物たる宿命を負わされたへんてこな文学、それを愛し、自分でも傑作を生み出したいという願いを持つ者にとって――にほかなりません。

この作品のなにがいちばん大きな「問題」なのか、というと、作者が大変な難問にチャレンジしていること、そこに尽きます。
作者が挑戦した大難問、それは、「日常論理を逸脱、もしくは超越した特殊な論理」による謎解き物語を長編小説で実現すること。
なぜこれがむずかしいか。
たとえば、どう解釈したらいいか見当のつかない、きてれつな謎が提示されたとして、謎解きを読んでみたら答えは「犯人のアタマがおかしかったから」だったとします。
ふざけるな、金と時間を返せ、と怒鳴りたくなりますよね(そのこと自体の恐怖を描くホラーやサイコサスペンスは別ですよ)。

本格ミステリーの論理は、一般論理が基本です。読者もそれを前提としている。一般論理は、同一性を原理としています。つまり矛盾がなく、論理が一貫していること。だから矛盾を矛盾のまま取り入れてしまう超越性論理はそのままではルール破りになります。

「特殊な論理」によるミステリーのねらいは、この「超越性論理」をなんとか加工して、一般論理とつなぎあわせて、そのつなぎめがわからないように仕立て上げること。
(※蛇足ですが、ふつうに「超越性論理」というときは、たとえば宗教の論理のようなものを言うようです。「色即是空・空即是色」とか「肉体を持つ神の子」とか。)

これは成功した場合は、すばらしい効果を上げます。
だって、読者が暗黙のうちに前提していた論理が意外なかたちで破られるのですから、タネを明かされたとたん、唖然とします。
「そんなの、あり!?」というおどろきですよね。これが「意表を突く極上のアイデア」となるか「ふざけるな!」になるかは、アイデアそのものの秀逸さばかりでなく、加工の仕方、先ほど言った、つなぎめの隠し方にもある。
そこがうまくできていると、大成功するし、雑な出来だと、壁本になってしまいます(壁本とは、読み終えたとたん、壁に投げつけたくなる本のことです)。

デビュー作短編集では、著者はこの大技をぴたりと決めて見せました。さて、本作ではどうでしょうか。

ストーリーは、語り手でもある日本人少年が、なぜかカンボジアでストリート・チルドレン、つまり宿無しっ子、少年ホームレスになっているところから始まります。
なぜそんなことになったのかは、おいおい語られますが、じつをいうと、私はこの部分にいちばん抵抗を感じました。彼がホームレス少年達の仲間であることがこの物語を成立させているので、この設定は動かせませんが、ちょっと不自然な印象が残りました。もう少していねいに背景を書き込むとか、もうちょっと納得しやすい理由にできなかったかな、と今でも思っています。
というのも、舞台となるカンボジアの川沿いの街は、いわば日本人の日常から切り離された、異世界として描かれているからです。雨が降り続いて、川は氾濫し、空気のなかにつねに水の分子が溶け込んでいるような、非常にウエットな世界。
語り手がなぜストリート・チルドレンになったのか、その経緯は、読者の日常から異世界への入り口になりますから、ここが乱暴に感じられると、なんとなく違和感がある。ラーメンを食べてたら、一部にからまった麺の塊があったみたいで、そこで気がそがれてしまいます。

で、この少年たちの、貧しくて、悲惨な状況(生計を立てる手立ては、廃棄されたゴミの山をあさって再利用品を拾うことだったりします)が淡々と描かれます。しかし極貧で不潔な暮らしのなかにも、楽しさはある。それはいろいろなキャラの仲間たちがいて、かれらの生き生きとしたやりとりがあるから。
AKB48グループが、しっかり者・優等生・MC型お笑い担当・天然ボケ・超マイペース型といろんなタイプにキャラ付けし、その関わり合いと成長過程を見せることで人気を維持しているように、本作では、明るいリーダー・乱暴なひねくれ者・泣き虫・静かな美少年・おきゃんな美少女・謎めいた身体障害者…と豊富なキャラがいて、かれらがさまざまに関わり合っていきます。このへんの少年の世界を描くのが、作者はとてもうまい。

全体に散文詩を思わせるような叙情的な筆致で、オトナの目にはやや甘すぎるところもありますが、若手でこれだけテーマと舞台にあわせた文章が書ける才能は貴重です。
ミステリーとラノベの区別がつきにくくなっている現状からすると、こういう才能は大切にしなくてはと思います。

本作の書評をチラ見すると、「泣いた」とか「感動した」とかエモーショナルな評価が目立ちますが、まあそういう麺も確かにすぐれていますけれど、ミステリーとしてどうかに触れた批評があまり多くないようです(私が見ていないだけかもしれませんが)。
しかし、この小説が提示している課題は、上で述べたとおりです。
なので、全編を支配する、叙情的で、やたら水分量の多いウエットな雰囲気――気候だけでなく人間関係を含めて――は、超越的論理をスムースに成り立たせるための、仕込まれた舞台設定なのだということに気づかなくてはなりません。
すべての描写は、論理のアクロバットを演じることのために奉仕しているのです。

事件は、おおまかにいうと、人間扱いされていない少年たちが、ひとり、またひとりと、奇妙な殺され方をしていく…というものです。
ホームレス少年たちだから、たとえ殺されても、世間はべつにおどろきもしないし、反応もしません。世の中の片隅で生きている取るに足らない、ごくちっぽけな存在が消えたというだけのことです。
逆からいえば、わざわざ手間暇かけて殺すだけの価値もない。
なのに、殺された少年たちは新聞紙に包まれていたり、顔を血で塗りたくられていたり、と奇妙な意匠がほどこされている。

なぜ、かれらはそんな殺され方をしたのか。その理由が、お得意の超絶論理で解かれていくわけですが、率直にいって、作者の到達点が、誰もが思わず膝を叩いて感嘆する、満点の解答……だとは思いません。読み終えて、うーむ…と考え込まされるところはいくつかある。
どこがそう感じさせるかというと、こういうことではないでしょうか。
先ほど、著者の挑んでいるのは「えっ、そんなのあり!?」という超越論理と無矛盾な一般論理をいかにうまくつないでみせるか、という難問だといいました。
それには超越論理が通用する異世界を描いて、読者にその世界観を納得させておく必要がある。
そこに著者はほぼ成功しているのですが、惜しいことに、そこに登場する超越論理が予想ほどわれわれの常識からかけ離れていないのですね。
いわば、現代日本人に馴染みのある論理がそこに紛れ込んでいる。
そうすると、ふつうのミステリーのように、一般論理でこの物語を読み込んでしまいたくなる読者がいても、しかたがない。これを一般論理のみで読んでしまうと、われわれの常識に照らして、矛盾している・あるいは正当な理由を欠いたように感じられる箇所がいくつか出て来てしまうのです。

これは異世界の書き込み方が足りないのではない。そこは十分クリアしています。
異世界では殺人の意味が、この日常とは違っていないと、おどろきが足りません。「砂漠を走る船の道」では、それが大成功したのにくらべると、やはり飛躍不足の感じは残る。

しかし、ではこの作品を評価しないかといえば、そうではありません。私は敬意とともに評価したいと思います。それもかなり高く。
ミステリーを書く者にとって、これほどむずかしい課題をみずからに課した、その志がまず尊い。本物のミステリー作家は、漫然と、ルーチンワークのように作品を書いたりはしません。一作一作、必ず新しい試み、課題を自分に課して、それを乗り越えようと悪戦苦闘する。
けれど、ここまでの難問に挑む気概を持つ人はあまり多くないでしょう。その点がまず、尊敬に値します。

そして満点とはいえぬまでも、この解答は合格点はクリアしているでしょう。大学の成績評価でいうと、「秀」はまだ上げられないとしても(このテーマで「秀」なら歴史的大傑作です!)、「優」には達している、と思います。

こんなこというと、「なにをエラソーに評価付けなんかしやがって」と怒られるかもしれませんが、私はこの作品を読了してから、何度も何度も内容を反芻し、いろいろと考えさせられました。
そういう意味では、純粋に読む楽しみを求める読者よりも、むしろ書き手側に強いインパクトを残す作品なのかも知れません。
「大問題作」というのは、そんな意味をこめてのことでした。

今回は、つい熱が入ったせいか、(わが身も省みず)作者への注文が多くなりすぎたかもしれません。申し訳ありませんでした。けれど、これも、梓崎さんの才能に期待するがゆえですので、ご了解頂ければと思います。










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内 容 ニックネーム/日時
「叫びと祈り」は連作短編のような形にしたのは成功しているのかな、という感想を持ちました。「砂漠を走る…」に余りにも度肝を抜かれたせいか…。
素人考えでは、単にこの作者は短編向きだということなのではという気もしますが。
若月
2013/10/14 17:31
短編が上手いことはわかっていますが、短編向き作家なのかどうかは、長編を何作か見ないとまだわからないと思います。松本清張などでも本来は短編作家、との声がありますから、どちらも同程度に上手いという作家はあまりいないようです。
ただ、本作では短編のときに成功した技法をそのまま長編に使おうとしていますが、それが正解なのかな、という疑問は感じました。それは体操競技でいうE難度の、とてもむずかしい課題だと思います。基本ラインはそのままで、技法の長編向きバリエーションを考えてもよかったのかもしれません。
まあ、言うだけなら何とでも言えますけれど…おまえやってみろ、と言われたら、私なら一目散に逃げます。
戸松淳矩
2013/10/15 16:43

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