ミステリー作家戸松淳矩 あさっての日記

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help リーダーに追加 RSS 主治医に叱られちゃった話

<<   作成日時 : 2008/03/08 16:05   >>

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入院患者なんて暇そうでいいなぁと思うヒトは多いようで、病院に入ったり出たりしていたら「私もしばらく入院でもしたい気分ですよ」と何回か言われました。しかし、失礼ながらそれは憶断と短見というものですよ。もちろん、のんびりしているような患者さんもいますが、どの患者も暇だという訳じゃないんです。

たとえば今回は2月12日に入院して、すぐにレントゲンと採血があり、午後は看護師長さんとチームリーダーの看護師さんが、それぞれ説明と聴き取りに来られました。少しして、今度は薬剤部の薬剤師さんがやはり聴き取りにいらっしゃいます。血圧を4回計り、おしっこはすべて蓄尿。

 翌13日は麻酔科の担当医師の聴き取りがあり、受け持ち医のM先生とそのチームの若手医師が手術について簡単な説明に来られます。男性医師3人、女性医師1人。
 それから翌日にそなえて、剃毛がある。今度の手術はおなかに穴をあけるので、そのへんと、太ももの毛をシェーバーですっかり剃るんですね。これは自分でやります。あと寝たままうがいをする練習に、テープかぶれしないかどうかのパッチ・テスト。入浴。下剤の服用。…と、手術前の患者というのは、何かと忙しいもの。
 そして夜になって、執刀医のN先生から呼び出しがかかりました。術前の総合的な説明がここであります。ところがこの席で、私めは先生に叱られてしまった。

 まずひとつめは、手術は準備段階に1時間、執刀に2時間プラスα、事後処理に1時間ほどかかります、と言われたときに、ついうっかり「えー、そんなにかかるんですかぁ」と言っちまったこと。N先生、内心カチンと来たみたいでしたね。
「あなたねぇ、腹腔鏡手術をかんたんに考えているんじゃないですか? 開腹にくらべてかんたんだというのは、術後の回復が早いと言うことであって、手術そのものが技術的に易しいというわけじゃないんですよ」
 とみっちりお説教されちまいました。
 言われてみると、内科の先生から、腹腔鏡は予後がいいという話は聞いていますが、手術がかんたんだとは確かに聞いていない。自分でいつのまにかそう思い込んじゃったんですね。

 考えてみると、開腹なら手術の箇所は目の前に見えている。しかし内視鏡を使う手術は画像を頼りに、じっさいには見えていない箇所を処置していかなくてはならない。違うむずかしさがある。
「全国の病院の8割は、腹腔鏡で副腎摘出手術することがまだできないんですよ。この病院では、たとえば私は300例ほどの経験があります。それも1時間台で摘出できる医者なんて、全国でもたぶん数人でしょう」

 ははー、申し訳ござりませぬ。失礼の段はひらにご容赦を。…ところで、あとで聞いたら、私の手術のメインの部分は1時間40分で終わったそうです。N先生、さすがです。おっしゃるだけのことはきっちりなさいますね。…もう済んじゃったことなので、またまた失礼なこと言いますが、あのー、まさか意地になって早く終わらせたんじゃありませんよね。

 で、やれやれと思ったところで、また叱られるような失言をしちまった。先生が「手術で副腎を全摘するわけですが」と次の説明に入りかけたところで、
「えっ。全摘するんですか? 腫瘍部分だけ削り取るんじゃないんですか」
 と、ごくごく素朴な質問。
「あのねぇ、トマツさんねぇ」
 N先生、脱力気味に薄ら笑いを浮かべてます。
「副腎を全摘するってことは、内科に検査入院したときにちゃんと説明があったはずですよ。…この期に及んで、ご自分がどういう手術を受けられるか把握しておられないというのは、どうも困りましたなあ。…もう少し、ご自身の身体のこと、健康のことを真摯にですね、考えていただかないと」

 えーと。そうでしたっけ? そういえば内科の先生から何度もいろんな説明は受けたけれど、あまり真剣に聞いていなかったような覚えもあるな。「開腹に比べればかんたんな手術」というところだけ覚えて、あとは「なら、いいや」と聞き流していたのかもしれない。
 N先生、しょうがねえな、この患者は…、という面持ちで、微に入り細にわたって「なぜ全摘するのか」という説明をしてくださいます。
 そのへんはややこしくなるので、うんと縮めて言いますと、要するにCTでみつかるくらいの腫瘍があるってことは、1_以下のマイクロ腫瘍がべつに潜んでいる可能性がある。ところが右の副腎は小さいし、下肢へゆく大動脈にごく近いうえ、一度手術すると癒着する可能性が高い。つまり二度目の手術はすごくむずかしくなる。だからこのさい、全摘したほうがよい。

「でも副腎ひとつになっちゃっても大丈夫なんですか」
「副腎はひとつあれば、ちゃんと役に立ってくれますから」
「あ、そうですか。じゃ取っちゃってくださいな」
「……あのね、トマツさん。イボを取るんじゃないんだから。もう少しね、緊張したほうがいいですよ」
 それからN先生は、この手術でいちばん怖いのは、大動脈の壁を傷つけてしまうことだという恐ろしい話をしてくださいました。右の副腎と大動脈はわずか5_くらいしか離れていない。そこにクリップをかけて切除するわけだが、万一大動脈を傷つけて出血したら大変なことになる…。さすがに私も、そりゃ大変であろうと顔を引き締めて聞いておりました。

 と、その晩、消灯時間の直前に病棟にN先生がやってきて、
「大丈夫ですか。さっきはだいぶ脅かしちゃったからなあ」 
 とにこにこ。
「もし眠れないようならお薬を出しますよ。それにね、ああは言ったけど、私、しくじったことはありませんから」
 どうややらクスリが効き過ぎちゃいかんと、フォローに来てくださったらしい。でも、もちろん睡眠薬などなくても、ぐっすり眠れましたけど。

 手術の後、切り取った副腎の写真をいただきましたが、ほんとに小さいものですね。手のひらにラクラク載るくらい。それが輪切りに切って、きれいに並べてあります。ピンク色で、質感もなかなかよい。
 持ってきてくれた看護師さんに「なんか、ちょっとおいしそうに見えませんか」と言ったら、「えー、そうかなあ」と首をかしげています。
「いや、これうまいよ、きっと。味噌漬けかなんかにしたら、いい味になるんじゃないかなあ」
「うーん。副腎の味噌漬けですか…」
「そう、名付けて、フクジン漬けなんちゃって」
 …これ、N先生には言わないでね、と念を押すことはもちろん忘れませんでしたとも。

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