|
個人的にお付き合いしたことがないのでよくわかりませんが、看護師さんって、おもしろい人の占有率がほかの職種より高いような気がします。 たぶん、日ごろ病気で悩んだり不安になったりする患者さんと接しているから、つとめて明るく振る舞うようにしているせいかもしれませんね。ちょっとした明るい話題にも敏感に反応するようにしているうち、本人も知らぬ間におもしろ人間になってゆくんじゃないか。…まあ、ただの管見のなせる妄想かもしれませんけど。 ここでお話しするのは、榊原記念病院で4回か5回担当していただいた、Tさんのことです。この方もなかなかきれいな女性でした。入院中に見るナースは2割方美しく見えるそうですが(笑)、それを差っ引いてもかなり端整なgood looks です。 この人は変なところがある人で、最初に私の係になったとき、「今日の担当をさせていただきます、Rと申します」と挨拶したんですよね。それがちょっと珍しい外国風のお名前だったので「Rさんですか?」と聞き返したら、「あっ、間違えました。Tと申します」と言い直した。そちらもやや変わってますが、まあふつうの日本人の名字です。 私は、この人は最近結婚したか離婚したかで、うっかり前の名前を名乗っちゃったのかな、と思いましたが、あとで訊いてみるとそんなことはないという。…じゃあ、何だったの、Rって。ていうか、誰なんですか、Rさん。 ある日、私が洗髪してドライヤーをかけているところへTさんがやってきた。なにか作業をしながら雑談していると、「あら、髪からお花の香りがしますよ」とTさんが鼻をひくひくさせます。 「そうなんですよ。売店に行って適当にシャンプーを買ってきたら、それが香料入りでね。取り替えるのもめんどうだから、そのまま使ってるんです」 でも、いいんじゃないですか男の方も香りがいいほうが、とか言っているうち、Tさんは看護師は匂いの強いシャンプーや化粧品は使わないものだ、という話を始めました。 「匂いに敏感な患者さんもいらっしゃいますからね。だから私なんか、シャンプーから化粧品から香水から、ぜーんぶ取り替えましたもの。前は髪を染めてたんですけど、それもやめちゃったくらいですから」 「へえぇ、そうなんですかぁ。けっこう大変なんですねぇ」 私はすっかり感心して聴き入っていました。もともと職業上の苦労話とか、プロとしての気配りとかを、その道の専門家から聞くのが好きなんです。 やがて作業をすませたTさんは、立ち去り際に、ちらりとこちらを振り向いた。なおも感心している私にニッと笑いかけると、ポツリとひとこと。「ウソです」 …う、うそなのかよ そんな手間ひまかけたウソつくんじゃねーよ、まったく。ところが、別の日にほかの看護師さんにその話をすると、 「あら、ほんとですよ。みんな、匂いのするものはなるべくやめてますもの」 なんなんだ、Tさんって!? さてバイパス手術のあと、カテーテル検査があります。これで血流の検査をしてみたら、3本付け替えた代わりの血管のうち、1本があまり機能していないことがわかった。元からある血管のほうに多くの血液が流れていて、バイパスとしてあまり使われていないようだというんですね。ではどうするか、というので外科と内科のそれぞれの主治医を中心にカンファレンスを開いた結果、もともとの血管を修繕して使おうという結論が出た。ステント留置術といって、まあ簡単にいうと、血管の詰まったところに風船を入れてふくらませ、金属製のパイプを取りつけるものです。 これもカテーテルを使います。前にも書きましたが動脈カテーテルをやると、6時間から8時間は絶対安静にして、動脈に開けた穴がふさがるのを待ちます。 けれど困るのは、その間のトイレですね。大のほうは事前に済ませておけば問題ないとして、小のほうはガマンしろというわけにもいかない。おまけにですね、安静にしている間、1リットル近いお水を飲まなくてはならないんですよ。これは心臓の状態を撮影するのに使った造影剤を早く体外に出すためです。 たくさん水を飲んで寝ていたら、当然じきに強い尿意がやってくる。しかし身体は仰向けのまま、動かすことができない。こうなると看護師さんを呼んで、溲瓶におしっこをさせてもらうほかはありません。 そこでやむをえずコールしたところ、やってきたのはTさんでした。こういうとき、男性患者としては、Tさんのようなややベテランの、明るくて何でもしゃべれるタイプのナースのほうがありがたい。学校を出てまもない、若くておとなしめのナースに来られると、どうにも気恥ずかしいんですな。だって、自分のナニをつかまれて、溲瓶に差し入れてもらうわけでしょ。そしておしっこが済むまで待機してもらうんだけど、この待つ時間が、なんとも気まずい。 ふだん仰向けに寝たまま、ひとに見られながら排尿するなんてことはありませんから、尿意はあっても、なかなかおしっこが出て来ない。待つこと1分、2分、3分…こちらもTさんも黙って待つのみ。こんな格好で世間話もできませんものねー。 どうも無理だな、出そうにないなと思ったので、「すみません。ダメみたい。またあとでお願いします」と言いますと、Tさんは「いいえ、かまいませんよ。またいつでも呼んでくださいね」とやさしく微笑んでくれます。 「なんか、イヤなこと頼んでおいてすみませんでしたね」 「なにをおっしゃいますか。わたし、そういうこと慣れてるんです」 「でも、女性なんだから、あんなモノをつまむのはイヤでしょう」 「だから慣れてるんですって」 そこで黙っておけばいいものを、照れ隠しもあったのでしょうか、つい私の口が滑ってしまった。「へえぇ、そんなに慣れてるんだ〜。けっこう乱れた生活してるんですねえ」 われながら、つまんないジョーク…こりゃスベったかな、と思ってTさんを見上げると、無表情にひとこと。 「…し、ご、と、で!」 はい、ようくわかっております。すみません。 ナースは一般に医師より注射とか採血が上手らしい。日ごろ、こなしている経験数が多いからでしょうか。ナースのなかでも、上手い人と下手な人がありますが、相手の患者との相性もいくらかはあるようです。 Tさんの注射や採血は、初めのうちわりと痛かった。私が顔をしかめていると、「あれっ、痛かったですか? すみません」と謝りながら「おかしいなぁ。わたし、ほんとは上手いはずなんだけどなぁ」とつぶやいている。 けれど3回めくらいから、急に痛くなくなった。というか、ほとんど痛みを感じないのです。 「Tさん、上手くなりましたねー。全然痛くないですよ。もう達人の域に達したね〜」というと、 「でしょう? やっぱり、わたし達人ですね」と胸を反らしています。 ふつうのナースなら、この場だけの話で終わるのでしょうが、そこがさすがはTさん。それからというもの、注射とか採血とか血糖値チェックとかにやって来るたび、 「達人T、採血に参りました〜」などといちいち口上が付きます。 しまいには、体温を測るときでさえ、「さて、達人Tが体温を測りますよー」などという。 「そんなもん、誰が測ったっておんなじでしょ」 「いえいえ。そうじゃありません。達人が測ると、ぴたりと正しい数値が出ますから」 …なら、最初から正しい数値、わかってることになるじゃないスか。 こんなTさんは、最後まで、どこかよくわからないヒトなのでありました。 |
| << 前記事(2008/02/02) | トップへ | 後記事(2008/02/11)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
Rさんと言う外国風のお名前は、ハンドルネームだったんじゃないでしょうか? |
monstre 2008/02/07 05:38 |
美人でちょっと変わっていて、でも看護師としては優秀な“達人”ナース。しかし、物語冒頭で、何気なく漏らしてしまった「R」という名前には実は大変な意味があった。執筆用に持ち込んだ資料の中に、もうすぐ時効となる凶悪犯罪者のリストがあり、そのうちの当時20歳のRという女性の風貌に見覚えがあるような気が―― |
藤岡真 2008/02/07 07:32 |
monstreさんへ |
戸松淳矩 2008/02/07 16:57 |
凄いなあ。 |
石ころ 2008/02/07 22:39 |
「凄い」とおっしゃるのはお褒めの言葉なのか、呆れられてるのか…たぶん後者でしょうねぇ。でも、ふだんの私は至って常識的で、人畜無害な人間ですので、お見捨て無きように。…藤岡さんはどんなだかわかりませんけど(笑) |
戸松淳矩 2008/02/08 05:19 |
>…藤岡さんはどんなだかわかりませんけど(笑) |
藤岡真 2008/02/08 18:11 |
ハハァ、なるほど。「なァんだ、なんでもなかったのか」と思わせておいてグサリッというやつですね。サスペンスの王道です。 |
戸松淳矩 2008/02/08 23:57 |
あの・・・ |
いち 2008/02/10 22:34 |
一般的なことは作家との付き合いが多くないのでわかりませんが、たしかに私の知る範囲では面白い人は多いかも。 |
戸松淳矩 2008/02/11 06:23 |
| << 前記事(2008/02/02) | トップへ | 後記事(2008/02/11)>> |