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服用しているクスリの副作用が出てきてまして、とにかくダルい。何もしたくない。暇さえあれば横になっていたい。でも手術に備えて肺活量を増大するトレーニング、体力づくりを医師から指示されてるもんだから、寝てもいられない。てなわけで、今日のテーマは大相撲です。…って、前フリとテーマがな〜んもつながっとらんじゃないか。 まあ、そんなことはともかく。久しぶりに盛り上がった初場所。しかも千秋楽結びの一番がこれまた、大相撲史に残るであろう名勝負でしたな。 ドラマ性もありましたね。かたや22才の若き横綱・白鵬。こなた脂がのりきった悪役横綱・朝青龍。白鵬は長らく独走状態だった朝青龍の前に、はじめて現れた難敵です。しかも穏やかな人柄の優等生タイプ。ワルガキキャラの朝青龍とは、相撲のタイプも正反対と言っていい。 巡業すっぽかし・仮病疑惑事件で「青」が謹慎させられていた間に、「白」は二場所連続優勝をとげて、第一人者の地位を奪ってしまいました。さて、三場所ぶりに「青」が復帰した、この初場所。ここであっさり優勝をさらわれてしまっては「白」の面目は丸つぶれです。 「なぁんだ、やっぱり朝青龍がいちばんか」 てなことになっては、せっかくの連続優勝も価値が半減してしまう。「白」はここは絶対に負けられない。「青」にしてみれば、ここで復活優勝をとげてみせてこそ、批判していた人々に「どうだ、おれがナンパーワンだ。わかったか」と思い知らせることができる。 意地と意地がまっこうからぶつかる展開の上に、十四日目を終わって、二人とも十三勝一敗。最後の取組で勝った方が優勝するという、願ってもないお膳立てですな。これで立ち合いの変化だの、はたき込みだの、つまらない技であっけなく勝負がついたのではガッカリですが、お互いの技と力を存分に出し合った、ほんとうにいい相撲でした。こんなに勝負を堪能できたのは、平成六年、七年ごろの「貴乃花・曙」の全盛時代以来かなぁ。さらに遡ると昭和五十七年、八年の「千代の富士・隆ノ里」拮抗時代ですか。 こいつ相撲にうるさそうだな、と思われるかもしれないけれど、何を隠そう、私のデビュー作は『名探偵は千秋楽に謎を解く』ですよ。相撲部屋とその周辺で起こる怪事件を書いた、下町ドタバタミステリーでした。当時は北の湖の全盛期、今じゃその北の湖が相撲協会理事長だもんなあ。こっちもジジイになるわけだ。 私は白鵬のファンなので、千秋楽の一番で白鵬が朝青龍を投げ飛ばしたときは、思わず「やった!」とテレビの前で拍手しました。なぜ白鵬を応援するかというと、彼がすごくまっとうな正攻法の相撲を取るからです。受けて立つという伝統的な横綱相撲がまずまず取れるし、左上手を引けば盤石という必勝の型を持っている。 相撲というのは結局バランスの崩しあいなので、受けの相撲が取れる柔軟な足腰と、自分の型に持ち込めば絶対に攻めきれる強靱な足腰が大切なんです…と、ある相撲鑑賞の師匠から教わりました(この師匠については、かなり前のエントリでご紹介してあります)。それが伝統的な横綱相撲というもので、白鵬はまだ進化途上ですが、このタイプの大横綱になれる素質がある。これまでの歴代横綱でいえば、双葉山とか全盛時の大鵬。最近だと二代目貴乃花が一時期、この領域に近づきかけた。 一方、朝青龍の相撲は正統派というより、異能派タイプですね。たぐいまれな運動神経を活かして、先手必勝、相手に力を出させない。このタイプとしてはおそらく空前絶後の天才でしょう。ただし受ける相撲が取れないし、この型になれば不敗という型はない。だから自分より大きな力士にがっちり廻しを引かれると、けっこう力負けします。晩年の貴乃花にとうとう勝てないままだったのはそのためです。 しかし相撲の醍醐味は、正統派のまっとうな相撲ばかりにあるわけじゃない。片方に伝統的な強さを誇る正統派がいて、もう片方にそれとは異質な異能派がいる。これが理想です。両者が切磋琢磨してこそ、お互いが完成に近づいてゆける。 ここ数年は朝青龍に対抗できる正統派力士がさっぱり出て来ませんでした。そこへ白鵬が登場した。だから私は白鵬の成長を期待し、応援したいのです。白鵬が朝青龍を脅かし、肩を並べ、抜き去ってゆけば、朝青龍もこれではならじと稽古を積む。 …しかし、もし白鵬が強すぎて独走するような状況になってしまったら、今度は朝青龍を応援すると思いますよ。それが好角家というものだと思う。例の師匠もそう言ってるしね。 技術論はそれでいいとしても、朝青龍の言動、行状のわるさはどうなのか。横綱は心・技・体の卓越した者に与えられるというのに、あれでは大相撲の伝統を壊すものだ、という批判の声はかなり高いようです。 私はこれは問題を2つに分けて考えるのがよいと思う。そうでないと「品格」とか「心」とか言っても漠然としていて、はっきりした基準がない。日本人でさえよくわからないのに、モンゴル育ちの若者にそれを要求するのは無理というものです。 まず相撲の取組そのものに係わること、たとえば土俵上の態度が粗暴とか、支度部屋で記者に暴言を吐くとかについては、そのつど口頭注意するくらいでいい。あまりに見苦しいとか、記者に腕力を振るうとか、目に余れば厳重処分すべきですが、いちいち細かいことに目くじらを立てる必要はない。それも彼の負けず嫌い、気性の激しさの表れであり、個性と見なすべきだと考えるからです。私生活上の問題もこれに準ずる。 もしそれをいちいち咎めるなら、無気力な相撲を取る力士、負けてヘラヘラしているような力士も、逆の意味で大相撲の品格を汚しているとして処分すべきでしょう。 ではその「品格」をどう考えたらいいか。識者と言われる人々に訊いても、統一した見解はないようです。これは「大相撲は格闘技プラス伝統芸能である」という視点から判断すればいいのではないか。 お客さんが高い席料を払って相撲を見に行くのは、たんなるスポーツを見るためではありません。チケットが高いのも接待に使われるのも、勝負の面白さ、プラスそこに日常とは違う異世界があるからです。テレビ観戦の醍醐味もそこにある。 たんなるスポーツなら、大銀杏を結う必要もないし、呼び出しも行司もいらない。レフェリーがいればいい。吊り屋根も太鼓も拍子木もいらないし、だいたい朝青龍だの白鵬だの千代大海だの、四股名だっていりません。しかし、そうなってしまったら、これはもう大相撲ではない。芸能の持つ異世界性が無くなってしまうからです。 能狂言や歌舞伎や落語も同じでしょう。「芸」さえ確かなら、あとはどうでもいいってものではない。体育館でジャージ姿の歌舞伎を見せられたって、つまらない。 したがって大相撲の場合は、この伝統芸能としての価値を毀損しないというところに「品格」の根拠を求めればいい。土俵上の所作をきちんと守る。入院中でもない限り、顔見せとなる巡業にはちゃんと参加する。公式の場に出るときはマゲを結い、着物を着る。つまり相撲を見る人々の、異世界感覚への期待を裏切らないこと。 それさえ守れば、ほかのことは大目に見ていいんじゃないかと思います。 というのも、現代社会では品格などというものは、なかなか求めて得られるものではないからで、だからこそ「国家の品格」「女性の品格」なんて本があんなに売れたわけだ。その得難いものをですよ、まだ20代の、育った文化も違う人間に求めようなんてのが無理。そういう無理を形だけ整えてごまかそうとするから、へんな権威主義や欺瞞がはびこる。 あの時津風部屋のリンチ殺人事件が起きた土壌も、そこにあるんじゃないかと私は思いますが。 …まだほかに書きたいこともあるんですが、今日はとりあえずここまで、ということで。うー、ダルいなあ。 |
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相撲殺人事件【アンチエイジング日記】
相撲協会は困っています。双津竜が時津風親方になったのがそもそも間違いでした。 ...続きを見る |
相撲殺人事件【アンチエイジング日記】 2008/02/29 22:24 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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うちの親も白鵬が勝って喜んでました。 |
いち 2008/02/03 01:58 |
寺尾関、とくに女性の人気がありましたよね。筋肉質でルックスもよく、相撲っぷりも威勢がよかった。「寺尾のツッパリ大相撲」というゲームソフトも出ていたなぁ。うちにもありましたけど。 |
戸松淳矩 2008/02/03 12:47 |
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