ミステリー作家戸松淳矩 あさっての日記

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help リーダーに追加 RSS 山村正夫ミステリー教室

<<   作成日時 : 2007/09/06 22:57   >>

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山村先生が講談社の創作講座を始められたころ、年賀状で「一度見に来ませんか」とお誘いを受けたことがあります。
 私が山村先生の指導を受けていたのは、1977年から78年ごろのことで、まだ講座というかたちでの指導はされていませんでした。言ってみれば、個人指導ですかね。たしか一度、深谷忠記さんと一緒に、先生の仕事場にうかがったことがありました。仕事場は渋谷から歩いて10分くらいの青葉台にあって、ひとりでうかがったのが数回。竹河聖さんや風見潤さんと同席した記憶もあります。

 …余談ですけど、そこへ行く途中で、山本リンダに会ったことがあるんですよ。坂道を登っていたら、女の人がひとりで重そうなキャリーバックを引っ張っているから、押しましょうか、と声をかけたんです。なんかハデそうなお水系の人だな、とは思ったんですが、振り向いた顔がリンダさんだったのでおどろいた。「いえ、大丈夫です」と言った声も、まぎれもないリンダ声。売れまくってた頃を知っているから、あんなスターでもひとりでこんなところを歩くのか、とすごく意外でした。
 先生に話すと「ぼくは六本木でデビュー前の大原麗子に会ったことがある」と自慢そうにおっしゃってましたが…いえ、だからどうしたって話ではないんですけど。

 山村先生というのは、若い人と話すのが好きな方で、とにかく面倒見のいい先生でした。私も若い人と話すのは嫌いではありませんが、あの真似をやってみろと言われても、とてもできませんね。じっさい、山村門下からは上に挙げた方々のほか、翻訳家の日暮雅通さん、小説家の菊地秀行さんなど、プロになった方がたくさん出ています。
 わからないことがあるとき、電話して伺うと、ご自分の知っていらっしゃることはもちろん、そうでないこともすぐにご自身の人脈を使って調べてくださる。ミステリーを書いていると、警察の機構だとか、鑑識のやり方だとか、いろいろ調べることがそのつど出てきます。そういうとき、ずいぶん助けていただきました。
 ふつうは師匠が弟子にあれこれ調べ物をさせるものなのにね〈笑〉。

 私が先生の指導を受けて半年ほど経った頃、短編をひとつ書いて持ってこい、と言われました。一ヶ月くらいして50枚ほど書いて行ったら、「ぼくの若い頃なら、これくらいは一週間で書いたよ。それに一編書けと言われたら三編は書いて持って行ったもんだ」と叱られたことがあります。
 ちなみに山村先生が師事していたのは、なんと、かの江戸川乱歩なんですよ。…あれっ、ということはだよ、私は乱歩の孫弟子ってことなのか? すげぇじゃん、これ。いやー、いま初めて気が付いたよ。なんか、うれしいような申し訳ないような。

 いま思うと、プロになるにはそのくらいの意気込みでなくちゃダメだ、ということだったんでしょうか。あのころから、グダグダ書いていたんですねー、きっと。それで山村先生に喝を入れられたわけだ。
 でも、そのときの短編が山村先生主催の同人誌に掲載されて、それを読んだ朝日ソノラマの石井さんがジュブナイルの原稿依頼を出してくれ、そのソノラマ作品を読んだ東京創元社の戸川さんが長編の依頼を出してくれた…のが、今につながっているわけで、やはり山村先生の後押しは大きかったんですね。まったく不肖の弟子で、何にも恩返ししないうちに亡くなられちゃったもんなあ。ほんとにすみません。
 そのときの処女短編はまだどこかにあると思うので、そのうちこのブログにupしてみるかもしれません。…でも、そんなもの、今さら誰も読みたくないよなー。やっぱり、やめとくか。

 …すっかり話が横道に逸れてしまいました。
「文章修業。これはね、純文学じゃないから、そんなに気を遣わなくてもいい。上手い人は先天的に上手いから、たくさん書いていれば勝手に上達する。
 では、上手くない人はどうするか。だいたいの場合、500枚くらいの長編を3つ4つ書くと、まあヘタなりになんとか読めるレベルにはなる。
 ただし、ヘタとはいっても、自分の頭にあることを読み手に正確に伝える、という最低限のレベルはクリアしなくては話にならないよ。書いたものを、ものの考え方も、感性も違う他人に読んでもらおう、っていうんだから、それは当たり前」

「手っ取り早いのは、人マネだな。自分の好きなタイプの文章をマネする。そうかといって、谷崎、川端、三島、ああいう人のマネはやめたほうがいい。というか、あのレベルをすらすら真似できるのなら、もうあなたは出来上がっている。好みに合っていて、こういう文章なら、自分にも書けそうだな、と思える作家をマネするのです。マネばかりしていると、個性が育たないのでは、と思うかも知れないが、マネしていても、自分の個性は自然と出てくるから、大丈夫」
 
 …というようなことを、よく山村先生はおっしゃっていました。それで、じつは私もある作家のマネをしばらくしていたことがあります。それが誰かは言えませんけど。お手本とはあまり差がありすぎて恥ずかしいしね。
 じゃ、いくら書いてもヘタなままの人はどうするんですか。それと個性が出て来ない人は? と訊ねたところ、先生の回答は「そういう人は、あきらめなさい」…そ、そうですか。

 ちなみに最初は文章が硬くてぎこちなかったけど、どんどん上手くなった例として山村先生は、森村誠一さんを挙げていました。最初から上手い例は栗本薫さん。
 たしかに栗本さんの乱歩賞作品『ぼくらの時代』は衝撃的だった。栗本さんは私と年齢が一緒くらいなんですよね。だからあの斬新な文章を読んだときは、こりゃとてもかなわない、とガックリきたものです。

 最初は物真似でいい、と言いながらも、アイデアの発想、素材の見つけ方、その切り口については、「あなたらしいもの、あなたでなければこうは書けないというものを、探しなさい」と何回も注意されたものです。
 前にも書いたかもしれませんが、一度だけ乱歩賞に応募しようとしたことがあります。半分くらい書いて見ていただきに行ったら、すぐに呼び出されて「これではダメ。あなたらしさがない。これじゃ一次は通っても本選には残れない」とキビしくダメ出しされました。
 今から思うとそのとおりです。社会経験のない若僧が、背伸びして書いたオトナの小説。たぶん一次予選でハネられていたと思いますね。
 山村先生の指導がなかったら、それに気づくまで、えらい遠回りをしたかもしれません。…ま、気づいていても、とんだ遠回りをすることになったわけですけど。

 この話題は書くことがいろいろあるので、今回はこのへんで。

 

 



 

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