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評判を呼んだ『悪人』の書評です。なにしろアノ浅田彰さんが絶賛した作品というのですから、これはもう期待しないわけにはいきません。 たしかに間然するところのない、緻密に構成された、よくできた作品です。テーマがはっきりしているし、人間像の造形、描写もすばらしく、純文学としてもエンタメとしても間違いなく、一級品。…ですが、一点、納得しかねるところがある。それが作者の筆のすべりだとしたら、残念なことなのですが、けれども、それをも含めて、作者の周到な計算のうちなのだ、という見方もできるから、さて弱りました。 ストーリーそのものは、ミステリージャンル的に見れば、かなりシンプルです。福岡県と佐賀県の県境にある峠で、石橋佳乃という若い女性が殺されて、死体が遺棄される。犯人は長崎の土木会社に働く、清水祐一という男。二人は出会い系サイトで知り合った仲で、事件自体は感情の行き違いから生じた偶発的なものでした。 やがて警察に追われるようになった祐一は、新しく付き合いだしたばかりの馬込光代という女と逃避行を始める。2人はやがて山中に隠れているところを見つかり、祐一は逮捕される…というだけのお話です。 作者は多視点の叙述作法を使い、この3人の周囲の人々、たとえば久留米で理髪店を営む佳乃の両親、会社の友人たち、佳乃がアプローチしていた裕福な遊び人の大学生、祐一を育てた祖母、彼を捨てた母親、雇用主でもある祐一の親族、光代の双子の妹…といった人たちの生活ぶりと、かれらから見えた「事件」の像を印象的に描き出します。 視点の多様性だけではありません。あるときは物語世界を俯瞰した神の立場から、またあるときは登場人物の心理に寄り添いつつ、さらにはかれらのモノローグも織り交ぜて、というように叙述スタイルもいろいろな手法を駆使しています。 ほぼ時系列に沿うかたちを採りながら、クロスカッティングを使い、読者に違う視点からできごとをなぞらせるのも、効果を上げています。 こうした工夫によって、事実関係だけ述べれば単純な事件が、現代に生きる「私たちの事件」としてとても奥行きを持ち、さまざまな側面を見せてくれるのです。このへん、私は読みながら、大岡昇平の『事件』を想起しました。 ですから、これはミステリーなのか、と問われれば、私はもちろんそうだと答えます。ただしミステリーとしても読むことができる、という意味で、それ以上の含意はありませんが。 どのあたりがミステリー的かというと、冒頭で事件のラフスケッチをしておき、さまざまな小説技術を駆使して、だんだんと事件の背景や登場人物たちの心理が明かされてゆくという、物語の構成方法ですね。ストーリーの運びにサスペンスを求めるのでなく、真実に近づくにつれて見えてくる多彩な事件像、その物語が見えてくるプロセスにサスペンスがあるのです。 これは人間描写が通りいっぺんだったり、人間観察がありきたりな小説では味わえない、上質なサスペンスです。 人間を描こうとして、それがたまたまサスペンスやミステリーマインドを引き寄せてしまった、という点で、この小説は当然、純文学でもある。 この小説は恋愛小説でもありますが、たんなる純愛小説ではありません。むしろ現代に愛は成り立つのかという、かなりシニカルな視点に作者は立っている。少なくとも、そう読めることを意識していると思います。早とちりして、出会い系でもほんとうの恋愛はありうるんだ、などと解釈してはとんだ見当違いになってしまうでしょう〈もちろん、出会い系を通して恋愛が成立する可能性を全否定しているわけではないですよ〉。 殺された石橋佳乃は両親から見れば、変わったところもないごくふつうの娘ですが、じつは出会い系サイトで知り合った男たちと次々に逢瀬を重ね、売春紛いのふるまいまでしていました。それでいて友人には、裕福な学生と付き合っているかのような虚勢を張る。では両親の前ではネコを被っている不良娘なのかといえば、そうではありません。おそらく、こういう若い娘は世の中に無数にいます。 両親にしてみれば、わが子の隠された姿が信じられないでしょうが、これは現代社会のシステムが佳乃には見えていて、両親には見えていなかった、ということにすぎません。娘が「不良」になってしまったのではない。道徳感情というのは価値観を共有する集団、共同体に属していることで育まれるものですから、地縁血縁の共同体が崩れ去り、疑似共同体としての役割を果たしていた学校や会社も変質した現代では、そもそもトータルに個人を縛る、過去のような道徳感情は成り立ちにくい。いくら「国家の品格」や「女性の品格」を称揚しても、「美しい国」を理想に掲げても、過去とはシステムが違ってしまっているのだから、言葉が上滑りするだけのことでしょう。 佳乃はそんな現代社会に適応していたのであって、べつに「殺されてもしかたない」ような「悪い娘」ではありません。まあ、良い娘でないことは確かでしょうが。 被害者にこういう女を造形することで、作者はみごとに現代社会を切り取って見せています。 この佳乃の存在を補助線にすると、清水祐一と馬込光代の「純愛」が何であるのかも、見えてきます。 祐一と光代の、将来への希望もなければ現在の充実もない、索漠とした寂しい日々。とくに光代のその心象風景を、変化に乏しい、退屈な佐賀平野の描写に重ねているあたりは、じつに上手いですね。そのつまらない日常の積み重なりよりも、殺人犯である祐一と逃避行を続ける一日一日が光代には光り輝いて見えた。祐一にとっても同じことです。 私はこれほどまで、ひとに必要とされたことはなかった、と心の中で叫ぶ光代の言葉には、現代に生きる人間なら、誰しも胸を衝かれるでしょう。警察に身柄を保護された光代が、交番の窓から逃げ出し、山の中に隠れる祐一のもとへと必死で戻ろうとするシーンは、愛を謳った名画を見るように心を打ちます。 だが、その愛は、殺人犯の恋人と逃亡するという、きわめて非日常的な状況でこそ、成り立ち得たものではなかったか。2人は、もっと早くになぜ出逢えなかったのか、と問うていますが、もっと早く、平々凡々たる日常の中で出逢っていたら、ここまでの愛は育っていません。相手が唯一、自分だけを必要としてくれているという「虚構」こそが、2人のアイデンティティを支え、その強烈な充足感が愛を成り立たせているからです。 日常に戻れば、光代と佳乃の距離はおそらく、おどろくほど近い。 もちろん恋愛を描いた過去の傑作も、たいていは劇的な状況で主人公が自己劇化していくプロセスを書いているわけですが〈だから不倫姦通、戦争や大事件による悲劇、身分違い、周囲の社会的敵対などが必要になります〉、個人がトータルに自分を支える価値観を持てずに、寂しい個として社会に放り出されている現代では、いっそう「命をかけるような」愛は成り立ちにくくなっている。 そこで問題になってくるのが、あのラストシーンです。祐一は迫り来る警察の目の前で、光代を絞め殺そうとしてみせます。自分を殺人快楽症的な怪物に仕立て上げ、それによって光代をたんなる「連れ回された」被害者にして救おうする「愛の行為」。 この場面を初読したとき、正直なところ、あまりに通俗小説的な結末の付け方に、私はほとんど呆然としてしまいました。なんで、それまでの流れをぶち壊しにするような、こんなエンディングを持ってきたのだろう、と思ったからです。吉田修一ともあろう作家が、ラストでなぜこんな安っぽいお涙頂戴に走ったのか、まったくわけがわからなかった。 たしかに光代はそれにより被害者として扱われ、社会的には救済されます。彼女自身も、「自分が彼を追い込んでしまったのではないか」という負い目から救われるでしょう。けれど、それならそれで、もっと自然に筋を運ぶことができるはずだ。なにも、こんな見え透いた大芝居を打たせなくてもよかったろうに…。こんなことをしてしまっては、せっかく現代社会を鋭くえぐった傑作が、最後の最後で、ただの「泣ける小説」、手垢のついた「純愛小説」になってしまう。 しかし考えているうち、これは作者から読者に贈られた、痛烈きわまる皮肉なのではないか、と思えるようになりました。 つまり、それまでの流れにそぐわない結末を無理にこしらえたのではなく、作者の意図は、まさにその逆なのではないか。…祐一と光代の「愛」は、ああいう見え透いた結末こそが釣り合うような、そんな現実離れした、日常から隔たった、不自然なものなんだよ。そう言って、作者は物語のラストで読者を谷底に蹴落としているのではないのか。 これが私たちの生きている時代なんだ、と突き放しているのではないでしょうか。 悪人とは誰なのか、という問いかけに「人間は誰しも悪人にも善人にもなりうる」などと、なまぬるく答えていたのでは、読者はこの作者と切り結ぶことはできません。 なるほど、祐一は最後に連続殺人犯を演じて、まぎれもない「悪人」になった。光代も「世間で言われとる通りなんですよね? あの人は悪人やったんですよね?」とモノローグを結んでいます。 しかし、悪とはそもそも何なのか。あるテレビ番組では「人を殺してなぜ悪いのですか」と問う子どもがいて、それに明確に答えられる大人がいなかった。「自分の体を自分が売って、なにが悪いの?」と反論するエンコー女高生を説得できる大人も、たぶんほとんどいないでしょう。 これは、そんな時代背景を熟知している作家が、「悪人」という刺激的なタイトルをつけ、「悪人とは何なのか」と問うた作品です。読者もまた、ワイドショーのコメンテーターが言いそうな答で満足していて、いいわけがない。 …あんまり長くなってしまったので、これ以上は別の機会に譲りますが、要するに私の言いたいことは、このひとことです。 「これは、かなり手強くて、意地悪な小説ですよ。気を付けて読んで下さい」 |
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九州で起きた殺人 吉田修一著 「悪人」
吉田修一 著 ...続きを見る |
本読め 東雲(しののめ) 読書の日々 2007/11/17 03:00 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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TBさせていただきました |
タウム 2007/11/17 02:58 |
TBありがとうございました。 |
戸松淳矩 2007/11/21 13:03 |
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