ミステリー作家戸松淳矩 あさっての日記

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help リーダーに追加 RSS 書評家泣かせ『双生児』

<<   作成日時 : 2007/08/05 05:01   >>

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さきにお断りしておきますが、以下の記述には一部ネタバレが含まれるかもしれません。反転処理などはしておりませんので、未読の方はご注意ください。…と言われても困るだろうけど。

 この本も「ミステリーズ!」に書評を書いたのですが、いやーもう、今まででいちばん書きにくかった。というのは、これはジャンル的に言うとミステリーではなくて、歴史改変SFになるんですが、構成がすごくメタなんです。でも、そこがたんなる思いつきでメタにしてあるのではなくて、作品の本質的な部分、作者の書こうとしてたコアの部分と、その構成が分かちがたく結びついている。
 だからこの作品のコアを説明しようとすると、どうしてもその凝った構成を解きほぐしてみせる必要があり、でもそれをやると、結局ネタバレになってしまうんですな。つまりネタを割らないとこの作品の魅力は語れない。叙述ミステリーを、それと気づかれずに紹介するジレンマに似ていますね。

 ストーリーはかなりおもしろくできています。まず現代パートで、主人公格の作家がある歴史の謎に挑もうとしている。
 その謎というのが、第二次大戦中、英国空軍大尉でドイツ爆撃に参加していたソウヤーというパイロットがいる。ところがまったく同姓同名〈イニシャルと姓〉で、赤十字に加わって、英独の停戦交渉に深くかかわった人物が存在する。同一人が爆撃機の機長であり、かつ停戦交渉に関与していたなどということがありうるのか…。
 この謎はあっさり解けます。なぜなら主人公の双子は、ジャックとジョーのソウヤー兄弟で、ファーストネームもクリスチャンネームも頭文字が同じだから。つまり双子の別々の活動が同一人のそれと混同されたんだな、とここで見当がつく。…ところがどっこい、それがもう作者の仕掛けた罠なんですよ。本格ミステリーの愛読者は「双子」と聞けば、あっ、すり替わりだなとか、二人一役だなとか、いやいや二人三役かとか、いろいろ考えてしまう。でもこの作品では、双子という事実そのものは、いわば見せ玉。ほんとうの仕掛けはそこにはありません。

 物語は大きく分けると、1936年、1941年、それと現代の3つのパートから成っています。36年パートでは、双子兄弟はボートの英国代表として、ベルリンオリンピックに参加します。
 このオリンピックは、国威発揚をねらってヒトラーが力を入れていたもので、ナチス支配下のドイツに入国する緊張感、競技終了までのサスペンス、さらに秘密の脱出行と、冒険小説のおもしろさもたっぷり。とくに銅メダルを獲得した2人が、ヒトラー臨席のメインスタジアムでルドルフ・ヘスからメダルを受けるシーンはよく書けている。
 ちなみに日本では、ベルリン大会というと、女子平泳ぎの「前畑がんばれ」がよく知られていますね。当時のオリンピックは現在のような商業化がなかったので、選手村もない。選手も個人でやって来て、それぞれ勝手に帰る。双子は知人の家に逗留するのですが、この家がユダヤ系で、帰国のとき、その家の娘をクルマに隠して国境線を突破します。ここが映像的に描かれていておもしろい。

 戦争中のパートでは、ジャックは爆撃機のパイロット、ジョーは良心的兵役忌避者として赤十字でそれぞれ活躍します。ここも筆力がすぐれているので、ストーリーなど関係なく、描写そのものを楽しむことができる。空襲というと被害者の立場から書かれることが多いのですが、このお話では、対ドイツ攻撃機のパイロットの視点と、ロンドンで被害者を助ける赤十字職員の視点と、両サイドから克明に空襲というものが描写される。
 それにともなうエピソードもおもしろい。体が大きすぎると戦闘機のパイロットにはなれない、なんてトリビア知識も得られます。爆撃機なら機体が大きいからボート選手でもO.K.なんですね。それと、ナチスドイツとの死闘を繰り広げているさなかにも、兵役忌避を認めるあたり、イギリス民主主義の歴史の重みというか、懐の深さを感じさせられました。良心的忌避者として認めるかどうかの審査会の様子など、まったく知らないことだったので、とくに興味深かった。

 ただし忌避者として認められても、何もしないでいいわけではない。兵役がイヤなら、それに代わる任務を何か果たさなければならず、そのひとつが赤十字救護班だったわけです。このあたりは、ホッブスやロックを産んだ国ではあるけれど、20世紀の国家システムが啓蒙時代のそれとはかなり違ってきていることが、具体的にわかる。

 さて歴史改変の部分ですが、これがまたおもしろい着想を生かしている。41年にルドルフ・ヘスが極秘にイギリスを訪問し、チャーチルとの間に会談が行われる。その結果、英独は停戦に合意する…という展開なんです。したがってアメリカの参戦はなく、日米戦争はあったらしいのですが、現実の太平洋戦争みたいな大戦争ではなかったようです。そして40年代半ばに米中戦争が起こったということになっています。
 「戦後」の歴史は99年のパートで簡単に触れられるだけなのですが、それでもこの着想は刺激的です。
 もしあの段階で停戦ができてアメリカ参戦がなかったら、世界はどうなっていたのか。ユダヤ人大虐殺は少なくとも起きなかったし大戦の惨禍も何分の一かで済んだはず。しかしナチス体制からドイツは民主化に軟着陸できたのだろうか。うまくいけばナチス支配は後進資本主義国だったドイツの疑似社会主義システムとして、一時的なエピソードで終わっていたのかもしれない。…日本の進路も対米戦争の理由が中国問題に限定されていたなら、あんなに大きな戦争にはならず、戦後の歩みも違ったものになったかも…。
 歴史改変のアイデアは仮想を楽しむだけでなく、現実を相対化して見る視点を与えてくれます。プリーストの提示したアイデアは、その意味でもなかなか刺激的です。
 ただ、ヒトラーが失脚してヘスが政権を握るという結末は、そううまく行くのかいな、という感じがしなくもありませんが…。

 解説の大森望さんによると、著者は「歴史が改変された結果を描くのではなくて、歴史を分岐させたかもしれない流れの過程を書きたかった」と言っているそうです。ちなみに「分岐」はseparationで、この小説のタイトルも邦題は「双生児」ですが原題はseparation。なるほど。

 そのあたりの仕掛けが分からないまま読んでいると、ジャックの出てくるパートとジョーの出てくるパートでは歴史記述が違っているので、頭が混乱してきます。つまり、どうやら私たちの知っている歴史時間に生きているのがジャック、改変された歴史時間に存在するのがジョーであるらしい。そして2人はお互いの世界にもむろん存在している。
 この矛盾の結節点にいるのが、2人がドイツから帰るときに連れてきたビルギットという娘で、2人とも彼女に恋をして、いちおうジョーと結婚するのですが、ジャックのパートでは、ジョーの長期不在中にジャックと彼女は肉体関係をむすんでしまう。のちにビルギットは子供を産むのですが、ジャックパートでは、それはどうもジャックの子どもらしい。子どもは女の子です。
 ところがジョーパートでは子どもは男の子。…しかもしかも、この2人が現代パートでは、一瞬ですが遭遇している。
 そんなことがありうるのか、と思っていると、物語の最後近くで「えっ」とおどろく記述が待ちかまえています。そこで初めて、読者は作者の仕掛けた罠の存在に気づくというわけですね。

 とはいうものの、この作品がかなり読者を選ぶのは間違いありません。
 まず、第二次大戦前後から現在までのヨーロッパ現代史をある程度知っていないと、楽しみは半減します。チャーチルとかヘスとか、著名な人物がそれこそ体臭さえ感じられるほど活写されていますが、これもかれらについてまったく知識がない場合は、それほどには感じられないでしょう。
 それから、2つの歴史のズレとか食い違いをていねいに追っていく根気が必要です。なにしろ、なにげなくさらりと書いてある1行が、あとになって重い意味を持ってきたりするので、油断ができません。
 主人公たちが途中で記憶喪失になったり、何度も幻覚を見たりするので、読んでいるあいだは、どこからどこまでが「作中の現実」なんだか、わからなくなります。そのわけのわからなさに耐えて、何層にも入り組んだ構成をしっかり把握しつつ読む、という努力をプリーストは読者に求めている。

 かく言う私も、じつはある重要な1行をそうとも知らず読み流してしまい、大森さんの解説を読んで初めて「あ、そうだったのか。なるほど、アレはこういう意味だったわけね」と膝を打ったという次第。…エラソーに「この本は読者を選びますよ」なんて言う資格はありませんね。お恥ずかしい限りです。
 しかし、あえて強弁すると、この物語を一読しただけで完全に把握できる読者はほとんどいないはず。そういう意味では、この本に限っては必ず解説まで読み切って下さい、とお節介ながらアドバイスしておきます。よほどの読みの達人は別として、解説を読んでみて「あっ」と気がつくことが、ひとつふたつはきっとあると思いますよ。

 とにかく、いろんな意味で刺激的。小説を実作をしている人なら、読んで楽しいだけでなく、あれこれと創作のヒントも盗める逸品です。骨格のしっかりしたミステリーを書こうという若い人なら、絶対に読んでおいたほうがいい。そう思えば本体価格2500円もお安いものだと思いませんか。
 

 

 


 
 

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