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確かな根拠もなく、ひとの死をあれこれ論うのは、不謹慎で下品なふるまいです。それを重々承知したうえで書くのですが、これをお読みになって、不快を感じられるZARDファンもいらっしゃるかもしれません。まず先に、以下はけっして興味本位に書き散らしたものではなく、坂井泉水さんを哀惜すればこそ、あえて記したことをお断りしておきたいと思います。 坂井さんの死が事故としては不審な点が多々あり、自殺としても不自然であることは、前の記事でも触れておきました。みなさんもよくご承知のことでしょう。 当初、事務所が発表したように、歩行中のたんなる事故とすると、身長165センチの女性がバランスを崩して、120センチの手すりを乗り越えてしまったことになります。これはいかにも考えにくい。よほど勢いをつけて走っていたのでもないかぎり、その可能性は少ないでしょう。この事務所発表は、事態の不自然さをかえって強調する結果となってしまいました。 掌紋や指紋、足跡からみて、坂井さんが一階部分の手すりを乗り越えたことは警察の発表で確認されています。争った跡もない。となると、本人が自分の意思で乗り越えたと考えるほかはありません。ミステリー的に言えば、何者かに脅されて乗り越えさせられた、という可能性もゼロではありませんが、現実的にはそれも考えにくい。 では何のために、乗り越える必要があったのか。ポイントはそこにあります。 そもそも施錠されていて、外からは病棟に出入りできない避難用スロープに、坂井さんは何のためにのぼったのでしょうか。そこを上がっていっても、鍵が閉まっていて中に入ることはできないのですから、病室に帰ろうとしていたとは思えない。まあ、施錠されていることを知らなかったのだ、という推理もできなくはありませんが。 ともあれ、自分の意思で手すりを越えたのだとすると、その理由は何だったのか。眺望を楽しむために柵から身を乗り出したのか、それとも遊び心で柵に腰かけてみたのか。 どちらも腑に落ちません。私自身、数年前に行ったきり最近の慶応病院を知らないので、現場の状況はわかりませんが、都心の病院敷地ですから、危険を冒してまで見たいものがあったとは思えない。ただし、何かを見るためにスロープにのぼったとすると、なぜ彼女が現場に行ったのかという、ひとつの説明にはなるかもしれません。 それでも、眺望を求めたのなら、なぜもっと遠目の利く2階、3階にのぼらなかったのか、そこがわからない。 また手すりに腰かけたのだとすると、これも不可解な行動です。病中で体力維持のために散歩しているひとが、人の目もないところで、そんな危険なことをするでしょうか。 スロープの高さは3メートルですが、手すりの高さを加えれば4メートルを超えます。元気なひとでも、そんなところに腰かけようという気には、あまりなりません。もし落ちれば、運が良くても手や足の骨を折る危険は大いにあります。闘病生活が一年にもなる、もう若いとは言えない女性がそんなことをするものかどうか。 そうなると、やはり自殺説が有力になります。ところが、そう考えると、今度は問題のスロープの高さが逆の意味でひっかかる。 3メートル、もしくは4メートルでは、落ちたところで死ぬとは限らない。下はコンクリートだそうですから、頭からまともに落ちれば大変危険ですが、どんな落ち方になるかは、ふつうは自分でコントロールできません。大怪我をしても命には別状なし、ということも十分ありえますね。俳優の窪塚洋介さんみたいに、マンションの9階からジャンプしても怪我ですんだ人もいるくらいですから。 自殺説を採ると、それならなぜもっと高い階から飛び降りなかったのだろう、という疑問が残ります。パジャマが脱ぎ捨てたままで病室が片づいていなかった、とか、遺書がなかったとかの「状況証拠」も、自殺説には否定的に見えます。 ただし事務所や病院が言っている「ガンの治療は順調だった」「仕事復帰に意欲的だった」というような話は、真に受けない方がよいと思います。病院は患者のプライバシーを明かすわけにいかないし、事務所は故人のイメージを守るために自殺説を打ち消したいでしょうから、両者の「公式見解」はあまり当てにできません。 子宮頸ガンが肺に転移していたということは、ほかの臓器にも転移した可能性がかなり高い。知人の消化器外科医に訊ねたところ、ガン切除手術を専門とするこの医師はそう指摘していました。 そこで私自身の仮説は「事故を装った自殺」ということになります。 坂井さんは自殺したのだけれど、明らかな自殺とわかるような死に方は極力避けたかった。もし高層階から飛び降りれば、死の確率は高まりますが、誰もがこれは自殺だと考えます。しかし一階スロープからでは、事故と判断される蓋然性が高まる。それが彼女の狙いだったのではないか。部屋が片づいていないのも、遺書がないのも、事故を装うためと仮定すれば納得がゆきます。 ではこの高さから落ちて確実に死ぬには、どうすればいいか。ふつうに飛び降りるのではもちろんダメで、手すりに後ろ向きに腰かけ、そのまま背を傾けるかたちで落ちるしかない。これなら間違いなく後頭部から落下する。「手すりに腰かけていて、誤って転落した」という警察の発表はそれを意味しているのではないでしょうか。そして、実際に、彼女は翌日の午後、脳挫傷で亡くなった。 どうして事故を装う必要があったのか。それは彼女が創り上げた「坂井泉水」というミュージシャンのイメージを守らなければならなかったからです。ZARDの歌は「聴き手を励まし、癒やした」と言われますが、哀愁を帯びた曲調のなかにも前向きに、自律的に生きていこうとする詞が多い。若い女性ファンが多いと言われる理由もそこにあるのでしょう。 その「坂井泉水」が、病であれほかの理由であれ、それに敗れて人生から逃避したという印象を残すわけにはいかない。本人にどういう考えがあったとしても、やはり自殺は敗北だと思う人が多いからです。それではファンの期待を裏切ることになる。 だが死によって「坂井泉水」のドラマに幕を引きたい気持ちは抑えられない。そのギリギリの選択が、不慮の事故に見せかけた自殺、という道だったのではないか。 そんなことをとっさに思いつくだろうか、という疑問はあるでしょうが、私はこれは発作的な自殺ではないと思っています。おそらく数日前から、そのことを何度も考え、現場に佇み、頭のなかでシミュレーションしていたのではないでしょうか。 実際に自殺しようとするひとの心理は、もちろんわかりません。遺される家族や関係者やファンの気持ちをおもんぱかる余裕などないかもしれない。しかし周囲の人々が語るように、意志が強く、周りにつねに気配りをする、という彼女の性格と、自分の作品を大切にするという姿勢を考えると、この推測はありうると思います。なぜなら彼女の創り出した最大の作品は、ほかならぬ「坂井泉水」だったのですから。 動機は、病に対する絶望、あるいは病による心身の衰弱、思うような作詞ができなくなったこと、もしかすると容姿の衰えもあったかもしれない。一言でいえば、彼女が「坂井泉水」を生きることができなくなったからだと思います。そうだとすると、最後までミステリアスなまま亡くなったことで、彼女は「坂井泉水」を全うしたのだとも言える。 …以上は、言うまでもなく、ミステリー的な整合性を求めた解釈にすぎません。真実は永遠にわからない。そんなのは伝説化を助長する妄想だと笑われるかもしれませんね。 ほんとうは、たまたまその朝は体調が良くて、軽い気持ちで、わざと危なっかしいことをしてみたくなったのかもしれない。それとも、発作的に何も考えずに飛び降りただけなのかもしれません。 現実はときにフィクションを超えますが、散文的でつまらないことも多い。でも人間はそれに意味を付し、自分の望むような完結した物語を創りたがる。 私にとって、ZARDの坂井泉水はうっかり事故などで死んでほしくないのです。そうではなく、自分の人生を最後まで描き切って、自らの意思で、自らの望むかたちでこの世から退場してほしかった。ただ、それだけのことです。 だから、このくらいの空想は許されてもいいのでは、とも思いますが、それもまた生きている者の不遜なのかもしれませんね。 |
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