ミステリー作家戸松淳矩 あさっての日記

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help リーダーに追加 RSS 「特急列車レイプ事件」と「日本兵捕虜の裏切り」続

<<   作成日時 : 2007/05/03 18:59   >>

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さて、その「日本兵捕虜の驚くべき話」ですが、まずどんな話か、ざっとご紹介しておきます。
 これはアメリカの軍人が戦後になって公表したことだそうですが、日本兵の捕虜のなかには、アメリカ人がまったく理解できないタイプの人間がしばしばいた、というのです。
 戦時中の日本軍には「生きて虜囚の辱めを受けず」という一種の掟(戦陣訓)があって、敵軍に捕まって捕虜になるのは恥とされていたわけですね。これはつまり、捕まるくらいなら見事に死ね、という大変な精神主義です。このことひとつ見ても、日本人にとって、あの戦争は近代国家の合理的な政治手段としての戦争ではなかったことがわかります。近代戦の思想なら、もう勝敗の決まった戦闘で死ぬのはまったく無駄なことですから、堂々と捕虜になって、戦時国際法で保護されている捕虜の権利を主張すればよい。それは恥でも何でもありません。
 
 そういう精神主義の日本兵を捕虜にするとき、アメリカ軍が気を付けたのは自決されることでした。なにしろサムライ精神の持ち主だから、生きて捕まったことを恥じて切腹でもされたら困る、というわけです。余談ですが、たとえば戦国時代の侍はかなり合理的で、こんなに精神主義的ではなかったそうですが。
 しかし、アメリカ軍の予想に相違して、日本兵捕虜はおとなしい。イタリア兵のように食べ物飲み物に不平を鳴らしたり、脱走を企てたりもしない。規律は守るし、反抗もしないし、じつに扱いやすかった。
 ところがアメリカ軍が驚いたのは、日本兵のなかに、日本軍の機密を自分からアメリカ側に教える者がいたことです。飛行隊のパイロットの場合、アメリカ軍機に同乗して、上空から、どこに日本軍の陣地があるか、その構造がどうなっているかをいちいち指示した者もいた。つまり、どこを爆撃すればよいかを日本兵が教えてくれた、というのです。

 そんな馬鹿な、とアメリカ側は思ったそうです。私もそう思いますよ。仮にもつい昨日まで日本軍の一員として戦っていたのに、なぜそんな簡単に味方を裏切れるのか。今も苦しんでいる戦友の上に敵の爆弾を誘導するようなマネが、どうしてできるのか。
 アメリカ軍は、はじめ、それはウソだろうと思いました。ウソをついて、アメリカの攻撃を少しでも遅らせ、日本軍を助けようとしているのだと理解したのです。ところが試しに捕虜の言うとおり攻撃してみたら、すぐに本当だとわかった。そこで、かれらはわけがわからなくなった、ということです。捕虜になっているのは、敵前逃亡した脱走兵でもないし、日本の戦争に反対していた政治犯でもない。捕まるまではアメリカ軍を苦しめた、いわば「りっぱな日本軍将兵」だったからです。

 けれど、この「裏切り」の心理を推測してみると、そうした日本兵が特に卑怯者だったとか、アメリカ軍に気に入られようと追従したとか、そういうことではないと思うのですね。かれらは捕虜になったところで、それまでのアイデンティティが崩壊してしまったのだと思う。りっぱな日本軍将兵であろうとしたのに、恥ずべき捕虜になってしまった。
 ここで個人のアイデンティティが危機に瀕する。選ぶべき道は3つあって、ひとつは恥を雪ぐために自決する。2番目は合理的に考えて状況を正当化する。つまり、こうなってしまったら仕方がない、もともと戦陣訓なんてものに無理があるのだと考える。ふつうはこれだと思います。そして3番目は、アイデンティティの拠り所を「日本」から「アメリカ」に乗り換えること。アイデンティティを良き日本軍将兵としてでなく、良きアメリカ軍捕虜に置き換えることです。
 だからこそ、かれらは大真面目に「裏切り」を働き、しかし自分が裏切り者だという自覚はなかったのでしょう。忠節の対象がすでにアメリカに替わっていたのですから。

 同じことはマッカーサー司令官が占領統治を始めると、国全体の規模でも起こっています。GHQに「日本をアメリカの一州にしてくれ」とか「永遠にアメリカが日本を治めてほしい」とか「マッカーサー司令官様に日本国王になって頂きたい」とかの投書が何十万通と届いたそうですよ。…まあ、ある意味、その後のわが国はそうなってしまっている、とも言えるわけですが。

「日本人には個がない」とか「集団主義だ」とか批判されるのは、こういうところにも見られます。個としてのアイデンティティが弱い。何らかの共同体幻想に属していないと、自己を保持できない。その共同体を支えていた価値観が崩れると、個人として孤立ができない。べつの共同体に自己投影しないと、自己を安定させることができない…これまで、さんざん言われてきたことばかりです。
 
 で、私の結論はこうなります。日本人は「個人だと弱い」「集団だと強い」のではなく、他人との関係性のなかでしか自己を確立できない。他人と関係なく自己を立てるためには、絶対神が必要ですが、日本の伝統文化はそういうものではなかった。だから、それをとやかく批判していても、これは無い物ねだりで、仕方がない。そもそも、このような自己意識のあり方が、西洋にはない日本の文化を支えているのも事実なのですから。
 戦争捕虜のケースは戦時下という特殊な状況の出来事ですから、現在のことと並べて論じるのは不適当かもしれません。しかし日本人の自我のあり方について示唆するものはある。私たちの社会は、未だ市民社会というものを、自分の自我と分かちがたくあるものとして内在化できていないのではないか。
 そのために会社とか学校とか親族の集合とか、ある程度アイデンティティを依拠できる集団から離れてしまうと、バラバラの弱い個になってしまい、市民としての連帯がなかなかできない。一方で、伝統的な共同体の持っていた凝集力は、どんどん弱まっている。
 そういう現在の私たちの「弱さの構造」が露呈したのが、あの特急列車レイプ事件だったのではないでしょうか。

 …と、まあ、ここ何日か、そんなことをぼんやり考えていたのですが、それじゃどうするんだ、と言われても、私にはわかりません。だいたい、その問いにスラスラ答えられるようなら、こんなブログにヘタな考えを書きつけていないで、本でも書いていますよ。
 ただ言えるのは、日本人の固有の自我構造とポスト近代の市民社会とを調和させていかないと、日本社会はますます溶解していくだろうということ。しかも、本家の欧米でも伝統的な市民社会が成り立ちにくくなっていて、かれらもまた苦悩している。おまけに少子高齢化によって今後は外国人移民が増えるから、社会の構成がより複雑化します。いよいよ伝統的なやり方は通じなくなります。…これをどう解くのか、まるで連立高次方程式のような難問ですね。

 けれどボランティアに参加する人が増えていると聞きますし、明るい萌しがないわけではない。その意味で、私は若い世代の創造力に期待しています。若い人の小説を読むとき、新しい日本人像を予感させるものがないか、そんな視点も忘れたくはない。

 たったひとつ、今度の事件について少し安堵したのは、被害者の女性が犯人を告訴していたことですね。強姦は親告罪ですから、容疑者がその事件で逮捕されたということは、女性が訴え出たことを意味します。彼女がいやな記憶から逃避せずに、あえて戦って乗り越えようとしていること、これはほんとうに良かったなと思います。
 強姦事件を訴え出ると、そのときの詳細を捜査段階でも裁判でも証言しなくてはならず、被害者にとって、とても辛いと聞いています。どうか被害者の方には、その辛さに耐えて、事件を克服して頂きたい、と切に願っています。

 …ずいぶん長い記事になってしまいました。最後まで駄文におつきあいくださった方、頭のわるい文章でどうもすみません。
 
 

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Troubled days
2007/05/06 15:45

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