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たいていのことには驚かなくなってしまった私ですが、これには思わず耳を疑いましたよ。 何の事件かは、今さら説明するまでもないでしょう。去年8月3日の夜、JR北陸線の富山発大阪行き、特急「サンダーバード」の車内で、大阪市に住む21才の女性が強姦されたという、あの事件です。 午後9時20分ごろ、福井駅を出たあたりで容疑者の植園貴光という男(当時35才)が女性の隣にすわり、「逃げたら殺す」「ストーカーとしてつきまとってやる」と脅して下半身を触るなど、猥褻行為をはたらき、さらに京都駅を出発した直後の10時半ごろから30分にわたり、トイレに女性を連れ込み、強姦した…。 車内には40人ほどの乗客がいて、事件に気づいた人もいたが、男にすごまれて制止することも、通報することもできなかった…と新聞は報じています。 これで味をしめたのか、12月21日の夜にも、この男は湖西線の客車内ボックス席で27才の女性を強姦し、続けて50分後、雄琴駅トイレで20才の女子大生を強姦しています。この件で1月17日に逮捕され、手口が似ていることから8月の事件の容疑が固まったというのですが、夕刊フジによると8年前にも逮捕されているということで、ほかにも余罪があるのではないでしょうか。 被害者の女性は、トイレに連れ込まれるとき、恐怖のあまり声も上げられず、ただ泣きながら引きずられていった…ということですが、そのときの彼女の気持ち、トイレに連れ込まれて強姦されている間の胸中を思うと、あまりの痛ましさに居たたまれない思いがします。 もちろん人間とは思えぬような、この男が許せないのは当然ですが、こういう異常者が現実に世の中に存在することは否定できません。それよりもゾッとさせられるのは、彼女がこんな悲惨な目に遭っているとき、誰ひとり、制止も通報もしなかったという事実のほうです。現代の法治国家で、こんなことがあっていいものか――ほんとうに、これはショックでした。 私にしても、その場に居合わせたとしたら、ひとりで男を制圧する自信はありません。今野敏さんや大倉崇裕さんみたいに、腕に覚えあり、ではないし、格闘なんかしたらたちまち息が上がりそうだし。でも、最低限、車掌に知らせるくらいはしますよ。だって相手はトイレに入ってしまっているんだから、何とでもなります。仮にそれが無理な状況でも、携帯で警察に連絡するとか、それもダメなら、家族か友人にメールを打って急を知らせるでもいい。 武装した共犯がいたわけでもないのに、男にすごまれたから通報もできなかった、という状況がどうにも理解できません。異変に気づいたのがお年寄りの、それも体の不自由な女性だけだったんじゃないか、とか、まさかレイプするとは思わなかったのかも、とか、いろいろ理解可能なシチュエーションを想定してみたりもしましたが、どうも釈然としない。 私はワイドショーの類を見ないので(というかテレビをほとんど見ないので)詳しい状況はわかりません。そこで一応、夏休み中の平日の夜、という条件から、ごく普通の乗客構成だったと仮定して話を進めます。出張帰りのサラリーマン、学生、家族連れ、女性グループ…といった人々が乗り合わせていたとして、ですね。 犯人の男はこんな異常なことをしでかすやつだから、一種独特の凶悪犯のオーラを漂わせていたと思われます。刃物くらい隠し持っていた可能性もある。そんな男に脅されたら、恐怖を感じて身がすくむのはわかります。我が身可愛さで、とばっちりが来ないように見て見ぬふりをする気持ちもわからぬではない。 けれど病気や怪我で倒れている人を見たら、ふつうは駆けよって救いの手を差し伸べるように、危難に遭っている女性を見たら、なんとか助けてやりたいと思うのが人情でしょう。平然と見過ごせる人は、いたとしてもごく少数だと思いたい。それがふつうになっているとしたら、私たちの社会はもはや人間の社会として機能していない、と言わざるをえません。いくらなんでも、そこまで日本の社会は衰弱していないと思う。 何とかしなくては、と思いつつも、声を上げられなかった人々の心理を推測すると、自分が立ち上がった場合、ほかの人たちがどうふるまうかに確信が持てなかったに違いない。ほかに協力する人が出てくれるならいいが、もし見て見ぬふりをされたら…と想像すると、これは怖いでしょう。そんなとんでもない犯罪者に、自分ひとりで、最後まで立ち向かわなければならないからです。つまり乗客はお互いに、ほかの乗客に対して不信感を持っていたのではないか。そのために、結果として孤立を怖れて、誰も立ち上がることができなかった…。 これを、9・11テロのとき、航空機を乗っ取ったテロリストに乗客が協力して立ち向かった実例に比べると、どうでしょうか。口惜しいけれど、日本社会の脆弱性がよく現れていると私は思います。今回のようなことはたまたまの事例ではなく、ありがちなことなのではないか。 よく「日本人は集団になると強いが、個人だと弱い」と言われることがあります。敗戦直後から最近まで、こうした指摘は形を変えて続いている。 それは欧米のように市民革命を経験していないからだ、とか、天皇制という一種の無責任体制の下にあるからだ、とか「進歩的立場」からの批判がある一方、たとえば武士の倫理観に見るように、必ずしもそうではなく、それはむしろ日本人が伝統的な文化を喪失したからだという「保守的立場」からの批判もあります。どちらにも、それぞれ聞くべきところはあるでしょう。 ところで、私がこの事件のことを考えるうち、思い出したのは、戦争中に捕虜になった日本兵の話です。この話も最初に知ったときには、あまりの意外さに愕然とした記憶があります。 …続く。 |
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