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じつは私、このときまで、書店にはお客としてしか行ったことがなかった。まあ普通はそうですよね。ですが、なにしろこの日は出版社のお偉方(戸川さん)と、著名作家(有栖川さん)がご一緒です。文芸書売り場に行くと、すぐに戸川さんとは顔なじみらしい、Eさんという女性の店員さんがにこにこと迎えてくれました。 ちょうど私の文庫が店頭に並んだばかりだったので、置いてある棚を見せて戴いたりしているうちに、店長さんまでご挨拶に見えます。さらに文庫担当のHさんもやって来る(この方も本を出しているプロの作家ですが、いちおうお名前は伏せます)。いずれも戸川さんや有栖川さんと親しげに言葉をかわしています。 ジュンク堂には最上階に喫茶室がありますが、このときはたまたま混んでいて、席がなかった。するとEさんはビルの裏手にある従業員専用エレベーターで、事務室に案内してくれます。たぶん休憩用と思われるスペースがここにあって、やがて喫茶室から飲み物などが届けられる。そこで私は新刊の文庫にサインを入れ、戸川さん、有栖川さん、それに合流した佳多山さん、お店のEさん、Hさんとで歓談が始まりました。 サインをしながら、私は「ふぅん、出版社のお偉方や有名な作家と一緒だと、飲み物まで出るんだぁ」と感心していましたが、考えてみれば、書店と出版社と著作者は、いわば一蓮托生のお仲間です。作家が良い原稿を書いて、出版社が良い本に仕上げ、それを書店が工夫を凝らして読者に届ける。どれが欠けても、本の流通はうまくいかない。だから、これはふつうの会社で言えば、提携先のお偉いさんが訊ねてきたようなものなんだな、と社会科見学の中学生みたいなことを考えていると、有栖川さんがこんなことをおっしゃった。 「今日は、作家に評論家に出版メーカー、それに本を買いに来たお客もいる。書店に縁のある人間が揃いましたね」 このとき、有栖川さんは「本を買いに来たお客」と言いながら、ご自分を指さしました。つまり、今日の自分は作家として来たのではない、ひとりの客として来ているんだよ、というわけです。もちろん書店側から見たら、私と有栖川さんとでは、作家としての価値は比べものになりません。それをあえて「客として来た」と言われるのは、そうした場に慣れない私への気配りをしてくださったからでしょう。当然ご自分が中心になっておかしくない場なのに、こちらを立ててくださっている。そんな言葉をさらりと言えるあたりが、いかにも大人ですよねー。 さすがだなぁ、と思いましたが、思っただけでうまく返す言葉が出て来ず、私は黙ってただコーヒーを飲んでいました。 すると今度は、佳多山さんが戸川さん相手にウールリッチの作品について、持論を展開し始めた。その話についていけないので、ぼんやりしていたら、 「まあ、僕たちには関係ない話だから」 と有栖川さんは、そちらは放っておいて、気楽なおしゃべりを続けます。内心、「何が関係ない話なもんですか、ウールリッチの研究書まで買うような人が」と思ったけれど、私はやっぱり黙っていた。 私だったら、多少でも知っている話題なら、すぐクチバシを突っ込んでしまうでしょうが、今度はさりげなく佳多山さんと戸川さんを立てているんですね。もとより佳多山さんはプロの評論家だし、戸川さんはミステリー研究家としても有名です。有栖川さんも加われば、さらにその話題は深まったのでしょうが、あえてそうはしない。専門の研究家とは違うポーズをとって、ほかの人たちの談笑の場が冷えないように、とそちらを配慮する。そういうことがごく自然に、少しも肩に力を入れず、ふわりとできるのが有栖川さんなんです。 恥ずかしながら、実年齢は私のほうが上なんですが、精神年齢はあちらのほうがだいぶ上だなぁ、とすっかり感心してしまいました。…というより、こっちが低すぎるのか。とほほ。 けれど、そんな有栖川さんが妙に子どもっぽくなる話題が、ひとつだけある。ご存じの方ならニヤニヤしちゃうでしょうが、そうです、阪神タイガースの話です。もう、骨がらみの虎ファンらしい。売り場訪問のあと、ビルの階下のラウンジでお茶を飲みましたが、そのときプロ野球の話題になった。戸川さんも年季の入った野球ファンですから、話は弾みます。 私はあいにく、プロ野球にはあんまり関心がなくて、「どこのファンですか」と訊かれても「そうですねー。まあ、キャッチャーの良いチームが好きだから、強いて言えば古田のいるヤクルトかな」と熱の入らない答え方をした。 「いやー、ヤクルトがほんとは、いちばん怖いんです」 と有栖川さんは大人の受け答えをしつつも、あくまでもタイガースファンの立場を離れません。と、そのとき、突然、ああそうか、と何かに納得したようなお顔になると、こんなことを言い出した。 「もしかして、お二人は、甲子園の阪神・巨人戦を見にいらっしゃったんですか?」 …ふつう、見に来ませんってば。優勝の決まりそうな一戦とかならともかく、わざわざ大阪まで野球見に行く人はあまりいない。 これって、つまりご自分なら、そんなこともやりかねない、と思っているからこその質問ですよね。このときだけは、野球少年の顔になっている有栖川さんに、思わず笑いがこみ上げてしまいました。 その年はたしか阪神がリーグ優勝して、日本シリーズではストレート負け。去年は終盤で中日に逃げ切られての2位。きっと悔しい思いをされていると思います。 今年は阪神が日本一になるといいですね、有栖川先生。 |
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ご無沙汰しております。文中のHです。その節はお世話になりました。 |
伯方雪日 2007/03/26 23:11 |
お久しぶりです。こちらこそ、お世話になりました。 |
戸松淳矩 2007/03/27 12:47 |
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